日本大百科全書(ニッポニカ) 「常北」の意味・わかりやすい解説
常北
じょうほく
茨城県中北部、東茨城郡にあった旧町名(常北町(まち))。現在は同郡城里町(しろさとまち)の南東部を占める地域。旧常北町は1955年(昭和30)石塚(いしつか)町と小松、西郷(さいごう)の2村が合併して成立。2005年(平成17)同郡桂村(かつらむら)、西茨城郡七会村(ななかいむら)と合併、城里町となった。旧町域は水戸城の北にあるので城北地方と通称され、これに常陸(ひたち)の北部の意を重ねて町名を常北とした。鶏足(とりあし)山塊の東部丘陵と那珂(なか)川沿いの台地よりなる。国道123号が通じる。中世は佐竹氏一族の所領、近世は水戸―宇都宮、太田―笠間(かさま)の両街道の交差する石塚が宿場町。商業と農業が主で、米、野菜の生産、畜産のほか、古内(ふるうち)を中心に茶園が多く、古内茶は名産品。多目的ダムの藤井川ダムがある。小松寺には平重盛(しげもり)の墓(県指定史跡)があり、同寺の浮彫如意輪観音(にょいりんかんのん)像と、薬師寺の木造薬師如来(にょらい)及両脇侍像はともに国指定重要文化財。
[櫻井明俊]