城里(読み)しろさと

改訂新版 世界大百科事典 「城里」の意味・わかりやすい解説

城里[町] (しろさと)

茨城県中央部,東茨城郡の町。2005年2月常北(じようほく)町,桂(かつら)村,七会(ななかい)村が合体して成立した。人口2万1491(2010)。

城里町北部の旧村。東茨城郡所属。人口7050(2000)。東部は那珂川流域の平たん地で,西部は八溝山系に連なる丘陵地である。村名は村域を流れる那珂川の支流桂川にちなむ。主産業は農業で,和牛も飼育されている。特産物に阿波山の粟野春慶塗がある。人口流出が続いたため1980年には過疎地域の指定を受けたが,近年,人口減少に歯止めがかかっている。村域の大部分は御前山県立自然公園に含まれている。国道123号線が通じる。

城里町南東部の旧村。東茨城郡所属。人口1万3459(2000)。水戸市北西に接する。西部は山地,中央部は台地が占め,東境を那珂川が流れる。台地上ではタバコやゴボウヤマイモを産し,山地には茶畑が多い。石塚,那珂西は近世那須街道の宿駅として栄えた。上入野の小松寺は平重盛の菩提を弔うために創建されたと伝え,重盛の守本尊とされる如意輪観音像(重要文化財)が現存する。また石塚の薬師寺には鎌倉時代に造られた薬師如来像(重要文化財)が伝わる。

城里町南西部の旧村。旧西茨城郡所属。人口2498(2000)。八溝山地南部の山間に位置し,那珂川支流の塩子川,藤井川が東流,流域に耕地集落が発達する。村域の大部分を山林が占める。木材シイタケを産し,製茶工場もある。1960年代以降,人口流出が続いている。天正年間(1573-92)スズ鉱が発見され,江戸時代は水戸藩の錫奉行がおかれたりしたが,享保(1716-36)ころ衰退した。明治以来タングステンを採掘していた高取鉱山も1963年に閉山となった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「城里」の意味・わかりやすい解説

城里(町)
しろさと

茨城県中西部、東茨城郡にある町。2005年(平成17)、東茨城郡常北町(じょうほくまち)、桂村(かつらむら)、西茨城郡七会村(ななかいむら)が合併して成立。町域の北東端部を那珂(なか)川が南東に流れ、沿岸に沖積平野が開ける。中央部から西部にかけては八溝(やみぞ)山系の南縁部にあたる山地、丘陵地が続く。那珂川沿いに国道123号が通じる。かつては鉄道(茨城交通茨城線)も走っていたが、1966年(昭和41)に町域区間は廃止された(全線廃止は1971年)。丘陵地にはゴルフ場が点在する。基幹産業は農業で、稲作、園芸作物が中心。とくに桂地区の那珂川流域で栽培されるレッドアロー(赤ネギ)は甘みが強く、代々自家採種され、大切に守られてきた。ほかに古内(ふるうち)地区の茶(古内茶)、ナシ、ブドウなどの果樹、ソバ、キノコの栽培も盛ん。石檜(いしっぴ)とよばれる堅い檜材を利用した粟野春慶塗(あわのしゅんけいぬり)(県指定無形文化財)は、「水戸春慶」ともよばれ、日本三大春慶の一つに数えられる。常北地区にある小松(こまつ)寺の木造浮彫如意輪観音(にょいりんかんのん)像、薬師寺の木造薬師如来(にょらい)坐像及両脇侍像は、いずれも国の重要文化財に指定される。面積161.80平方キロメートル、人口1万8097(2020)。

[編集部]


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百科事典マイペディア 「城里」の意味・わかりやすい解説

城里[町]【しろさと】

茨城県中北部の東茨城郡の町。南を水戸市に接する。北部に那珂川が南流する。2005年2月東茨城郡常北町,桂村,西茨城郡七会村が合併し町制。国道123号線が通じる。東日本大震災で,町内において被害が発生。161.80km2。2万1491人(2010)。

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