律令(りつりょう)制で、成人男子が公事のとき用いるよう規定された被(かぶ)り物。養老(ようろう)の衣服令(いふくりょう)では頭巾(ときん)とよび、朝服や制服を着用する際被るとしている。幞頭は盤領(あげくび)式の胡服(こふく)を着るときに被る物であり、イランより中国を経て日本に伝えられたものと考えられる。原型は正方形の隅に共裂(ともぎれ)の紐(ひも)をつけた布帛(ふはく)を髻(もとどり)の上から覆って縛る四脚巾(しきゃくきん)といわれるもの。それをまえもって成形し、黒漆で固形化して被る物に変えた。貞観(じょうがん)儀式や延喜式(えんぎしき)で一枚とか一条と数えていて、元来平たいものであったことを示している。四脚巾着用の遺風は、インド・シク教徒の少年にみられる。
[高田倭男]
中国の被物(かぶりもの)の一種。黒布で結髪を包む風習は中国では秦・漢以前から行われていたが,南北朝時代の末,北周の武帝は布の両端を裁って4本の脚をつくり,これを頭の上と後でそれぞれ結び合わせた。このため〈四脚〉などと呼んだ。これが幞頭の起源となり,その後隋・唐時代になると官吏の公式の冠となったが,羅や紗の薄い絹地に漆を塗って固めた硬質の幞頭があらわれた。日本の朝服に幞頭が採用されたのは〈衣服令〉以後のことである。唐末から宋代にかけては脚は形式化され,これに直脚や交脚,円翅脚などが生まれた。日本の冠(こうぶり)はその遺制である。なお旧1万円札に描かれた聖徳太子像のかぶる幞頭は初唐以後の様式を示す。
執筆者:杉本 正年
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…【町田 章】
[中国漢代以降の冠]
中国の歴代王朝は基本的には漢代の冠制を踏襲したが,南北朝ごろから巾,幘が公式のかぶりものとして採用され,冠は祭服および朝服の一部に残るだけとなった。とくに,隋・唐以後,朝服の冠はほとんど幞頭(ぼくとう)によって代用され,その制度は7~8世紀の日本や朝鮮の冠服制にも伝えられた。《衣服令》にも〈礼服(らいふく)の冠〉が記されている。…
※「幞頭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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