平和部隊(読み)へいわぶたい(英語表記)Peace Corps

翻訳|Peace Corps

日本大百科全書(ニッポニカ) 「平和部隊」の意味・わかりやすい解説

平和部隊
へいわぶたい
Peace Corps

1961年にアメリカ政府が創設した機関で、開発途上諸国に技術・技能をもった人材を派遣し、当該国の開発計画の推進に協力することを目的とする。J・F・ケネディ大統領選挙期間中に示した公約の一つでもあった。隊員は18歳以上の男女で、相手国の要請に応じて2年の期間で派遣され、派遣先の国の民衆と生活をともにしながら、教育、農業開発、公衆衛生その他広範囲の活動に携わる。これまで十数万人の隊員が約90か国に派遣され、大きな成果をあげた。これに刺激を受けたヨーロッパ諸国でも同様の計画を実行に移し始め、また日本でも1965年(昭和40)から国際協力事業団(現、国際協力機構)の事業の一環として青年海外協力隊Japan Overseas Cooperation Volunteersを発足させ、アジア、中近東アフリカ中南米オセアニアの諸国に人材を派遣して各国の国づくりに協力している。

[小田英郎]

『サージェント・シュライバー著、加瀬英明訳『平和部隊の理想と任務』上下(1966・時事通信社)』『栗木千惠子著『ケネディの遺産――平和部隊の真実』(1997・中央公論社)』

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改訂新版 世界大百科事典 「平和部隊」の意味・わかりやすい解説

平和部隊 (へいわぶたい)
Peace Corps

アメリカ政府が発展途上諸国に隊員を派遣し,現地の開発計画に貢献することを目的とした活動機関。1960年J.F.ケネディが大統領選挙の公約の一つとして提唱。61年3月発足し,同年9月正式に連邦議会承認を得た。発足当初は国務省の管轄下にあったが,71年7月から他の奉仕機関とともに連邦政府機関の一つであるACTIONに統轄されている。隊員は相手国の要請で派遣され,おもに教育,農業技術,公衆衛生,地域開発に携わる。派遣期間は2年。隊員は18歳以上の青年男女で,大学生または大学卒業生が多く,発足以来約10万人のアメリカ人が八十数ヵ国で活動に従事してきた(1981年現在)。1980年現在,約1億ドルの政府予算のもとで,六十数ヵ国に約6000人が派遣されている。平和部隊の構想はとくにヨーロッパに広がり,西ドイツでは1963年に発足した。また日本でも65年から〈青年海外協力隊〉としてその任務を遂行している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「平和部隊」の意味・わかりやすい解説

平和部隊
へいわぶたい
Peace Corps

発展途上諸国に青年を派遣し,技術教育など現地の開発計画に寄与させようとするアメリカの計画。アメリカ政府内の「国際青年奉仕機関」 International Youth Service Agency (IYSA) の管轄下にある。 1960年 11月 J.ケネディ大統領が,選挙戦中この計画を提唱し,61年3月発足した。派遣される青年たちはアメリカの大学卒業生で,派遣された国で最低2年間開発援助に協力し,現地住民と同水準の生活をする。その任務は,教育,農業技術,公衆衛生,家内工業,英語教育の普及に従事することにある。平和部隊の構想はアメリカだけでなくヨーロッパ,日本にも広がり,日本では 65年から「青年海外協力隊」が海外に派遣されている。

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百科事典マイペディア 「平和部隊」の意味・わかりやすい解説

平和部隊【へいわぶたい】

米国青年を発展途上国に送り開発事業に寄与させることを目的とした組織。1961年ケネディ大統領の提唱で発足。隊員生活費は政府が支給,現地当局の管理下に主として教育・公衆衛生・手工業・農業技術の指導に当たっている。日本,英国,ドイツにも類似の組織がある。→青年海外協力隊

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