デジタル大辞泉
「平田禿木」の意味・読み・例文・類語
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ひらた‐とくぼく【平田禿木】
- 英文学者、随筆家。本名喜一郎。東京出身。東京高師卒業後、イギリスに留学。帰国して高師、明大、学習院、三高などの教授。一高在学中「文学界」の同人として作品を発表。後年は随筆、翻訳などの業に従った。著「英文学印象記」「禿木随筆」など。明治六~昭和一八年(一八七三‐一九四三)
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平田 禿木
ヒラタ トクボク
明治〜昭和期の英文学者,翻訳家,随筆家
- 生年
- 明治6年2月10日(1873年)
- 没年
- 昭和18(1943)年3月13日
- 出生地
- 東京・日本橋
- 本名
- 平田 喜一郎
- 別名
- 通称=喜一,別号=荒川 漁郎,松茶庵
- 学歴〔年〕
- 東京高師英語専修科〔明治31年〕卒
- 経歴
- 明治20年洗礼を受け「女学雑誌」「女学生」などに評論を発表。26年創刊の「文学界」同人となり、キーツやロセッティなどを紹介し、また評論活動をする。またダンテに関心を抱く。36年から39年にかけて英国に留学し、オックスフォード大学に学ぶ。東京高等師範付属中、三高、学習院、明治大などの教授を歴任し、サッカレー「虚栄の市」などの名訳を残す。著書は他に「最近英文学研究」「英文学印象記」など。
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平田禿木【ひらたとくぼく】
英文学者,随筆家。本名喜一郎。東京生れ。東京高師卒。《文学界》創刊に参加し,評論や翻訳などを発表。1903年―1906年渡英。主著に《英文学印象記》《文学界前後》,翻訳にサッカレー《虚栄の市》などがある。東京高師付属中学で教鞭をとった際,同僚のフェノロサのために能を英訳し,これがのちにフェノロサ,パウンド共訳の《能》となった。
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平田禿木
ひらたとくぼく
(1873―1943)
英文学者、随筆家。東京・日本橋に生まれる。本名喜一郎。旧制第一高等学校を経て東京高等師範学校英語専修科卒業後、オックスフォード大学に学ぶ。一高在学中に『文学界』同人となり、イギリスの批評家W・ペイターの影響のもとにダンテやキーツ、ロセッティらを紹介。さらに英文学への深い造詣(ぞうけい)と正確な語学力、また和漢文学の素養によるサッカレーやディケンズ、ラムらの優れた翻訳があり、著書には『英文学印象記』(1924)や『文学界前後』(1943)などがある。
[山中信夫]
『『明治文学全集32 女学雑誌・文学界集』(1973・筑摩書房)』
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平田禿木
ひらたとくぼく
[生]1873.2.10. 東京
[没]1943.3.13. 東京
英文学者,随筆家。本名,喜一郎。第一高等学校を中退,1898年東京高等師範学校英語科卒業。 1903~06年イギリスに留学後,第三高等学校などの教授を歴任。 1893年『文学界』の創刊に参加し,『薄命記』 (1894) ,『神曲余韻』 (97) などの哀韻悲調の名文で上田敏と並称された。英文学の翻訳ほか,『英文学印象記』 (1924) ,『禿木随筆』 (39) ,『文学界前後』 (43) などの著がある。
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平田禿木 ひらた-とくぼく
1873-1943 明治-昭和時代前期の英文学者,随筆家。
明治6年2月10日生まれ。26年「文学界」創刊に参加。36年からオックスフォード大に留学。帰国後,女子学習院,三高などでおしえ,のち翻訳に専心した。昭和18年3月13日死去。71歳。東京出身。高等師範卒。本名は喜一郎。著作に「英文学印象記」,訳書にサッカレー「虚栄の市」など。
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平田 禿木 (ひらた とくぼく)
生年月日:1873年2月10日
明治時代-昭和時代の英文学者;翻訳家;随筆家
1943年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の平田禿木の言及
【文学界】より
…5号以降は文学界雑誌社と改称し,名実ともに文学の自立を指導理念とした。最初の同人は,理論的中核となった北村透谷,島崎藤村,平田禿木(とくぼく),戸川秋骨,天知とその弟星野夕影(せきえい)。のちに戸川残花,馬場孤蝶が加わった。…
※「平田禿木」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」