奈良県北西部,生駒郡平群(へぐり)町と三郷(さんごう)町の境界付近,生駒山地南部にある山。花コウ岩類の基盤岩石の間にできたこぶ状の安山岩の貫入岩体で,標高437m。南北朝時代からここにたびたび砦が築かれ,楠木正成も一時拠ったと伝えられる。永禄年間(1558-70)に松永久秀は信貴山城を本拠にして畿内に覇を唱えた。織田信忠軍の攻撃を受けて落城した城郭跡は,山頂から尾根,山腹にかけて壮大な遺構をとどめている。南の中腹にある朝護孫子(ちようごそんし)寺は,〈信貴の毘沙門さん〉と呼ばれ参詣者が多い。西の大阪府側からケーブルカーが通じ,信貴生駒スカイラインが走るため,観光客やハイキング客が多い。
執筆者:服部 昌之
信貴山真言宗の大本山(通称信貴山)。正式には朝護国孫子寺といい,歓喜院ともいう。寺伝によれば,聖徳太子が物部守屋討伐の折,この山で毘沙門天に祈り,勝利を得てのちここに毘沙門天をまつり,信ずべき貴ぶべき山すなわち信貴山と号したという。あるいは志貴山とも記した。《信貴山寺資財宝物帳》によれば,寛平年間(889-898)命蓮(みようれん)という僧が毘沙門天を安置した小堂に若少のころより籠山したことがみえ,しだいに寺を整備・拡張していったことが知られる。《古本説話集》《宇治拾遺物語》には信濃国出身の命蓮が信貴山に籠山して飛鉢の法を修し,剣の護法を使わして時の帝の病気を治すなどの霊験譚をのせ,《信貴山縁起絵巻》(国宝)はこの説話を絵巻としたものである。《持呪仙人飛鉢儀軌》という経には,覆鉢形の山容をもつ山に籠山修行すると竜王を意のままに駆使し,鉢を自在に飛ばすことができると説いており,命蓮はこの法を修した天台の行者であり,信貴山は江戸時代に至るまで天台宗の寺院でもあった。中世には葛城修験の霊場として〈葛城北峯宿〉の一つに数えられた山伏の行場でもあった。現在は境内に玉蔵院,千手院,成福院などの宿坊があり,京阪神地方を中心に多数の信者をもつ祈禱寺院として山間に堂宇林立し,門前町が平群・三郷両町にまたがって発達するほどににぎわっている。
執筆者:木下 密運
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
奈良県生駒(いこま)郡平群(へぐり)町信貴畑(しぎはた)、信貴山の南東中腹にある信貴山真言(しんごん)宗の総本山。正式の名は信貴山歓喜院(かんきいん)朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)であるが、一般には信貴山、「信貴山の毘沙門(びしゃもん)さん」の名で親しまれている。本尊は毘沙門天。開基の時期は不明であるが、寺伝では587年(用明天皇2)に聖徳太子が物部(もののべ)氏討伐のために河内(かわち)(大阪府)稲村城に向かう途中、当山上で毘沙門天を感得し勝利を祈願。のち物部守屋(もりや)との戦いに勝利を得たので、太子は当地に毘沙門天を祀(まつ)り、信ずべき貴ぶべき山、すなわち信貴山と称したのが当寺の起源と伝えられている。712年(和銅5)以後一時荒廃したが、延喜(えんぎ)年間(901~923)命蓮(みょうれん)が再建し中興となった。その後、皇室・武家の尊崇厚く、楠木正成(くすのきまさしげ)は、母が当寺の毘沙門天に祈って誕生したので幼名を毘沙門天の別名多聞(たもん)天からとって多聞丸と名づけたと伝える。中世以後は興福寺の末寺となる。1577年(天正5)織田信長が松永久秀(ひさひで)の信貴山城を攻略したときに当寺も焼失したが、1602年(慶長7)豊臣秀頼(とよとみひでより)が再建し、徳川氏も外護(げご)した。江戸時代以降は金剛峯寺(こんごうぶじ)末寺となるが、1951年(昭和26)信貴山真言宗として独立した。広大な境内には、懸造(かかりづくり)による豪壮な本堂、朱塗りの三重塔、多宝塔など多くの堂宇、塔頭(たっちゅう)がある。寺宝の『信貴山縁起絵巻』(国宝)は、命蓮の徳行と毘沙門天の霊験(れいげん)を説いた物語で、絵画上の優品。そのほか、武具類、金銅鉢などの国重要文化財、楠木正成の甲冑(かっちゅう)類など多数を蔵する。本尊の毘沙門天は開運、心願成就の仏として信仰され、縁日の寅(とら)の日にはとくに参詣(さんけい)者が多い。正月初寅の日に初寅大法要、7月3日に毘沙門天王御出現大祭が行われる。
[祖父江章子]
奈良県北西部、生駒(いこま)郡平群(へぐり)町にある山。標高437メートル。生駒山地南部の山で、花崗(かこう)岩を基盤とする山中に噴出した安山岩が侵食に耐えて残ったものとされる。南東中腹に信貴山真言宗の信貴山(朝護孫子寺(ちょうごそんしじ))があり、北の生駒聖天(しょうてん)とともに福徳開運の毘沙門天(びしゃもんてん)として知られ、縁日の寅(とら)の日には参詣(さんけい)者でにぎわう。寺内に南北朝時代の信貴山城跡がある。山上へはケーブルカー(大阪側)やバス(奈良側)の便があり、信貴生駒スカイラインも通じる。
[菊地一郎]
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