広東十三行(読み)カントンじゅうさんこう

精選版 日本国語大辞典 「広東十三行」の意味・読み・例文・類語

カントン‐じゅうさんこう‥ジフサンカウ【広東十三行】

  1. 中国、清代、広東外国貿易独占していた商人団体の俗称。一六八六年に始まり、一八四二年、南京条約締結に伴い解散

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「広東十三行」の意味・わかりやすい解説

広東十三行
かんとんじゅうさんこう

中国、清(しん)代、広州(こうしゅう)(広東)の外国貿易を独占した商人団(行商(こうしょう)、洋貨行)の通称。また、広州に交易した外国商人の商館factoryをいう。明(みん)代に広州には36行の牙行(がこう)(仲買人)があり、市舶提挙にかわり外国船から徴税していた。清朝もこの制を受け継ぎ、1685年に粤海関(えっかいかん)監督を置くと、1720年には16の行商が公行(コーホン)(特許商人の組合)を組織し、漆器刺しゅうなどを除いた主要貿易品(生糸、茶)を独占し、価格協定を結んだ。これは非参加の商人の反対にあい翌年解散したが、1726年、六家が選ばれて再興し、保商として外国船の船鈔(せんしょう)(量船税)や規礼などの関税を代徴した。1760年には同文行の潘(はん)振成が中心となり、9行でヨーロッパ貿易専門の外洋行を組織し、本港行(東南アジア貿易)、潮福行(潮州・福建貿易)から独立した。彼らは外国との貿易取引のほかに、関税の代徴に連帯責任を負い、さらに外交交渉の仲介をも行った。過重な納税負担や取引の失敗により、倒産したり外国商人から借金する行商も頻出したが、1780年からは行用銀とよばれる賦課税を定め、これを積み立てて行商の負債返還基金とし、19世紀初頭にかけて公行の全盛期を迎えた。1842年の南京(ナンキン)条約により、公行の外国貿易独占は廃止され、それ以降衰退するが、牙行組織自体はその後も商業活動を担う中心となった。西洋への窓口となったこれらの行商は、西洋の軍備、医術などを紹介したほか、怡和行(いわこう)の伍崇曜(ごすうよう)は「粤雅堂叢書(えつがどうそうしょ)」を、同孚行(どうふこう)潘氏一族の潘仕成は「海山仙館叢書」を編纂(へんさん)した。

 外国商館(十三行夷館(いかん))は、行商が所有する珠江(しゅこう)沿岸の13の建物を、デンマーク、スペイン、フランス、アメリカ、オーストリア、スウェーデン、イギリス、オランダなどの商人が借用し、公行と取引をしていた。しかし、1842年、43年、56年に焼打ちにあい、現在は十三行街の名を残すのみである。

[浜下武志]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「広東十三行」の意味・わかりやすい解説

広東十三行
カントンじゅうさんこう
Guang-tong shi-san-hang; Kuang-tung shih-san-hang

中国,清代の広州での外国貿易の特許商人の組織。洋貨行,洋行,行商などとも称される。康煕 24 (1685) 年海外貿易が許可され広州には粤海関 (えっかいかん) がおかれたが,その関税徴収に翌年牙行 (仲買商) の洋貨行を指定して請負わせるとともに,輸出入品の取引を独占させた。これが行商制度の始りで,この洋貨行の別称を明末清初からあったものを用いて十三行といい,これは行商の数とは関係がない。同 59年には行商中の 16家が公行 (組合) を結成し,価格の協定や主要商品の独占をはかったが,ほかの行商の反対で解散し,次いでまた有力な行商6家が選ばれ,これを保商,総商などといい,外国船との取引独占権を与え,関税徴収に連帯責任を負わせた。外国貿易港が広州1港に限定されてからも,彼らは公行を結成してその業務を独占し,南京条約による公行制度の廃止まで存続した。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「広東十三行」の解説

広東十三行(カントンじゅうさんこう)

清代の広州に設けられた外国貿易を取り扱う特許商店(洋貨行)の通称。1685年の外国貿易解禁に伴って,翌年少数の特許商人が指定されたのが始まりで,その後行数や組織,義務などに変動はあったが,南京条約成立までいっさいの外国貿易を独占した。なかには巨富を貯える者も多く,清代の代表的な商業資本として両淮(りょうわい)の塩商と並び称された。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「広東十三行」の解説

広東十三行
カントンじゅうさんこう

清代に広東(広州)で外国貿易を許された特許商人団
1757年キリスト教の禁止とともに外国貿易が広東1港に制限されて以後,公行として清朝から貿易独占権を与えられた。その数が13あったので十三行と呼ぶが,数には増減があった。イギリス東インド会社を最大の取引先としたが,1834年会社の独占を廃したイギリスは清朝に対しても公行の廃止を要求し,アヘン戦争をへて42年の南京条約によって公行は解散させられ,その後商館も焼き払われた。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、和歌山県串本町の民間発射場「スペースポート紀伊」から打ち上げる。同社は契約から打ち上げまでの期間で世界最短を目指すとし、将来的には...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android