デジタル大辞泉
「公行」の意味・読み・例文・類語
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こう‐こう‥カウ【公行】
- 〘 名詞 〙
- ① ( ━する ) 広く行なわれること。特に、望ましくない物事が公然とはばかるところなく行なわれること。
- [初出の実例]「華靡俗をなし貨賂公行(コウカウ)し」(出典:授業編(1783)五)
- [その他の文献]〔南史‐后妃伝下・陳張貴妃〕
- ② ( ━する ) 公然と行動すること。気ままに歩きまわる、またはふるまうこと。
- [初出の実例]「盗賊公行(コウカウ)して自分の物を盗まるるを好まず」(出典:福翁百話(1897)〈福沢諭吉〉九三)
- [その他の文献]〔春秋左伝‐襄公三一年〕
- ③ ( ━する ) 書物などを広く世に出すこと。刊行。
- [初出の実例]「活字版を用ひて書を公行する」(出典:万国新話(1868)〈柳河春三編〉三)
- ④ 清代、広東の外国貿易商の結成した組合。
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普及版 字通
「公行」の読み・字形・画数・意味
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公行 (こうこう)
gōng háng
中国清代,広州外国貿易商人(行商)の組合。ふつう広東十三公行と呼ばれるが,行商の数は13とはかぎらず,20~50家の間を増減した。清朝は1685年(康熙24),それまで禁じていた海外貿易を許可し,広州に粤海関(えつかいかん)をおいて関税を徴収したが,翌86年行商に関税徴収を請け負わせる代償として輸出入品を独占させた。これが公行制度の始まりである。1720年行商16家が公行を結成し,取引を独占,価格の協定をはかったが,他の行商の反対で成功せず,26年有力な行商6家がえらばれて外国船との取引独占権をあたえられ,他の一般行商はこの6家(保商)の保証のもとで取引を行った。57年,ヨーロッパ諸国との貿易は広州1港に限定され,以来主としてイギリスとの茶・生糸・絹貿易は飛躍的に増大した。それにつれて公行の利益も莫大なものとなったが,他方関税納入その他,政府・官僚への献金なども多額にのぼり,投機的な取引とあいまって破産する行商も少なくなかった。イギリスとのアヘン戦争に敗れた結果,南京条約によって公行制度は廃止され,その後外国貿易の仲介商人は公行にかわって買辦となった。
執筆者:北村 敬直
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公行
こうこう
gong-hang; kung-hang
中国,清代に広州で外国貿易に従事した行商の同業組合。通常は広東十三行と称される。清朝の貿易は広東の粤海関で特定の仲買商 (行商) にのみ許されたが,康煕 59 (1720) 年に海関監督の援助で,当時の 16の行商が同業組合を結成して「公行」と称した。公行は主要商品の独占や価格の決定を行い,それまで存在した小商人を排除して貿易を独占した。外国商人は彼らの不利になるためこれに反対したが,この公行制はアヘン戦争まで存続し,道光 22 (1842) 年の南京条約で廃止された。
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公行
こうこう
清代に,広東 (カントン) で独占的に貿易を営んだ商人団体とその商館
13あったので広東十三行というが,数には増減があった。1720年康熙 (こうき) 帝のときに始まり,貿易独占権を許され,外国商人に対する問屋の役割を果たした。1757年には,外国との貿易は広州のみとされ,その後特にイギリスとの貿易は飛躍的に増大した。しかし,その制限貿易はイギリスの不満を買い,アヘン戦争の結果,1842年の南京条約によって廃止された。その後,外国貿易の仲介・外国商社の下請けの役目を,買弁が果たすようになった。
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公行【こうこう】
中国で清代に,広州で外国貿易を独占した特許商人が結成した組合。この特許商人を行商といい,広東十三公行と呼ばれる。関税を請け負う行商制は,1685年の海外貿易の許可,海関設置によって翌年施行。その後弊害発生により1720年公行結成。1842年の南京条約で廃止。
→関連項目海関
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公行(こうこう)
清代,広東の外国貿易を独占していた特許商人(行商(こうしょう))の組合。1842年の南京条約によって廃止された。
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