日本歴史地名大系 「山川村」の解説
山川村
やまごむら
南北朝時代以後加賀守後となった富樫氏の庶流で、同家執事・守護代となった山川氏は当地を開発本領とし、名字の地としたと思われる。富樫系図(尊経閣文庫)では平安末期頃の富樫家経の男子家忠の子繁家を山川氏の祖とする。建武三年(一三三六)七月六日の富樫高家書状案(三宝院文書)によると足利尊氏軍に加わった加賀守護高家は後醍醐天皇方と京都で合戦、戦況を在国中の山川又五郎に報じており、山川氏はすでに守護代の地位にあったと思われる。応永二六年―嘉吉元年(一四一九―四一)には山川筑後守家之が富樫満春、満春嫡男持春、同三男泰高の守護代となっている(応永二六年九月二六日「山川家之遵行状」南禅寺文書、嘉吉元年一二月二四日「室町将軍家御教書案」美吉文書など)。
山川村
やまがわむら
- 栃木県:足利市
- 山川村
山川村
やまがわむら
山川村
やまがーむら
山川村
やまがーむら
首里城の北西に位置し、南は
山川村
やまがわむら
山川村
やまかわむら
山川村
やまがわむら
山川村
やまかわむら
山川村
やまかわむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報