日本歴史地名大系 「府中城跡・桟原城跡」の解説
府中城跡・桟原城跡
ふちゆうじようあと・さじきばらじようあと
〔府中城築城〕
万治二年の冬府中を空前の大火が襲い、一千七一八戸が焼失、幕府から救恤米一万石が与えられたが、この大被害は銀山開発の成功および朝鮮貿易の隆盛なども合せて、宗家当主の義真にとって新城下建設の好機であったと考えられる。府中の北東部の
屋形の築城に伴い城下の町割が新たに実施され、現在の厳原の街並の原型となる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報