度支(読み)タクシ(その他表記)duó zhī

デジタル大辞泉 「度支」の意味・読み・例文・類語

たく‐し【度支】

中国官名。魏・晋以後、全国会計に関する事務を担当した。
主計寮かずえりょう唐名

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精選版 日本国語大辞典 「度支」の意味・読み・例文・類語

たく‐し【度支】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 中国の官名。国家の会計の収支をつかさどる。魏晉以来、度支尚書がおかれ、唐は戸部尚書と改めた。唐中期、戸部度支曹が独立して度支使となり、塩鉄使判戸部とともに財務を統べる重要な職となる。北宋元豊年間(一〇七八‐八五)の官制改革で唐初の制に復した。〔隋書‐百官志中〕
  3. 主計寮(かずえりょう)の唐名。〔職原鈔(1340)〕
  4. 財政を司る役所
    1. [初出の実例]「鉄道を架するに〈略〉墺国政府は、一時度支の窮竭により其法を廃し」(出典:米欧回覧実記(1877)〈久米邦武〉四)

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改訂新版 世界大百科事典 「度支」の意味・わかりやすい解説

度支 (たくし)
duó zhī

中国の官職名の一つで,中央財政を担当する。魏・晋以後,度支尚書がおかれ,北斉では全財政を統轄した。唐では戸部尚書の下に会計担当の度支曹があって,郎中と員外郎などがおかれた。唐中期以後,財務行政が複雑かつ重要となり,度支曹が独立して度支使が成立し,塩鉄使,判戸部と国家の財政を分担して三司と称された。五代,北宋では三司使に統合されたが,神宗の元豊官制以後,唐初の制に復した。のち清末に戸部を度支部と改めた。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「度支」の意味・わかりやすい解説

度支
たくし
Du-zhi; Tu-chih

中国,唐・宋代の中央の財務官庁の制度。漢,魏以来,度支尚書があり,その下に度支侍郎 (度支郎中) がおかれ,国家の財政を司っていた。唐代には戸部尚書といわれ,その下に度支郎中がおかれた。安史の乱後,経済が発達し財政が複雑化すると,度支郎中の地位は向上して度支使と呼ばれ,戸部,塩鉄とともに財政を扱う3重要機関となった。宋代になると3機関の長は三司使,または計相ともいわれて宰相に次いで重視された。宋代の度支は賞給銭帛,糧料,常平,発運,騎,斛斗,百官の8案 (局) から成っていた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「度支」の意味・わかりやすい解説

度支
たくし

中国の官職名で、中央財政を担当した。魏(ぎ)・晋(しん)(220~420)以後、度支尚書が置かれ、北斉になると全財政を統轄した。隋(ずい)は民部尚書、唐(618~907)は戸部(こぶ)尚書と改めた。戸部尚書下の四部局の一つに度支曹(そう)があって会計を総領し、郎中が収入を、員外郎が支出を管轄した。唐中期以後、財政の重要性が増すと、度支曹が独立して度支使が成立し、塩鉄使、判戸部と国家の財政を分担した。北宋(ほくそう)の元豊(1078~85)の改革後、唐初の制に復した。清(しん)末には戸部を度支部と改めた。

礪波 護]

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普及版 字通 「度支」の読み・字形・画数・意味

【度支】たくし

財政の官。

字通「度」の項目を見る

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