日本大百科全書(ニッポニカ) 「張即之」の意味・わかりやすい解説
張即之
ちょうそくし
(1186―1266)
中国、南宋(なんそう)末期の書家。安徽(あんき)省和州(わしゅう)の人。字(あざな)は温夫(おんぶ)、号は樗寮(ちょりょう)。官吏であったが能書をもって天下に聞こえ、伯父の張孝祥(ちょうこうしょう)の影響で米芾(べいふつ)を学び、褚遂良(ちょすいりょう)の筆法を加味した独自の書風は、禅僧の間に流行した。わが国では、鎌倉時代の1246年(寛元4)に来朝し建長寺を開いた蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)がこの張即之の書風をもたらした。その影響で入宋(にっそう)僧を通じて張即之の書を求めた者も多く、以後堂々として力強いみごとな筆跡が禅林僧侶(そうりょ)の間で尊ばれた。また江戸初期の寛永(かんえい)の三筆(さんぴつ)の1人本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)がその影響を受けたことは注目される。彼の遺墨としてわが国に伝存するものでは『李伯嘉墓誌銘(りはくかぼしめい)』(京都・藤井有鄰館(ゆうりんかん))、『金剛般若波羅蜜経(こんごうはんにゃはらみつきょう)』(国宝、京都・智積院(ちしゃくいん))、京都・東福寺の額字「方丈」などの楷書(かいしょ)肉筆遺品が著名である。
[名児耶明]
『中田勇次郎編、外山軍治他解説『書道芸術7張即子、趙孟頫』(1972・中央公論社)』