出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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形勢戸 (けいせいこ)
xíng shì hù
中国の唐末以降,豪族,有力戸を意味する用語としてあらわれ,経済的には大土地所有者。宋に入ってこれら形勢戸の中から科挙に及第して官僚となるものが多くなり,品官形勢の家,形勢官戸などと呼ばれて支配階層を形成した。南宋中期の規定によると,形勢戸とは品官の家・吏人・職役戸(保正・耆長・戸長など)の3者からなり,税籍上,特に朱書されて通判(州の副知事)の管轄下に置かれ,一般民戸と別扱いをうけた。
執筆者:柳田 節子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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形勢戸
けいせいこ
中国、宋(そう)代の地方豪族。唐末以降、権勢ある家、豪族など有力戸を意味する用語として使われたが、宋に入ると、これら形勢戸のなかから科挙によって官戸となる者が多く出て、品官形勢の家、形勢官戸などといわれて支配階層を形成した。南宋では、官戸のほか、耆戸(きこ)長、保正、吏人などを含むと規定されている。大土地所有を経済的基盤とし、両税簿や戸籍上、とくに形勢戸と朱書されて一般民戸と区別された。
[柳田節子]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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形勢戸(けいせいこ)
宋の富農・有力官人階層,またその税役上の呼称。形勢の語は唐初~五代にみえるが,宋は「形勢版簿」を別置して在地勢力者たる富農への徴に備えた。形勢戸は宋朝官僚の母胎でもあった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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形勢戸
けいせいこ
宋代に成長した新興地主
権勢ある家の意。貴族が没落したあとの中国農村の支配層。多くの土地と人民(佃戸)を所有し,多くの官僚を出して(官戸)中央集権的官僚体制を支え,また郷村の行政を担当して中国の封建社会の中核を構成した。
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
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出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
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形勢戸
けいせいこ
xing-shi-hu; hsing-shih-hu
中国,宋代,地方の大土地所有者である豪族のことをいい,官僚はほとんど彼らの間から出たので,官戸形勢戸ともいった。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の形勢戸の言及
【官戸】より
… 宋代以降は官吏やその親属の家を官戸と呼び,普通の庶民と区別することが一般的となった。唐代後半から在地の地主や有力者が行政事務の末端を引き受け重要な役割をになうようになり,形勢戸と呼ばれ官戸と併せて官戸形勢戸あるいは形勢官戸として地域社会における支配勢力となった。その範囲は現任の文武官をはじめ,徴税や官物輸送その他の職役を負担する戸や胥吏(しより)にまで及び,彼らは5段階の戸等制で1,2等の上等戸であった。…
【地主】より
…
[宋・元]
11世紀前半,北宋中期のある文献では,一つの県で土地を所有している家は3000戸,その約3分の1の1000戸が地主の家であった。読書人として儒教的教養を修得し,科挙試験に応ずるのは多くの場合この地主の子弟であったが,合格して高官となる者を出し,[官戸](かんこ),[形勢戸](けいせいこ)と呼ばれる家は100戸から200戸,あるいはそれ以上であったという。本来地主の家は社会秩序のかなめとして国家から重視されていたが,同時に地方官府とその財政を支えるための多額の金銭的支出をともなう労役,すなわち徭役(ようえき)を国家から賦課されていた([役法])。…
※「形勢戸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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