後周(読み)コウシュウ

デジタル大辞泉 「後周」の意味・読み・例文・類語

こう‐しゅう〔‐シウ〕【後周】

中国、五代最後の王朝。951年、郭威かくいが後漢こうかんを滅ぼして建国。都は汴京べんけい(開封)。960年、宋の趙匡胤ちょうきょういんに滅ぼされた。周。ごしゅう。
北周の別称。

ご‐しゅう〔‐シウ〕【後周】

⇒こうしゅう(後周)

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精選版 日本国語大辞典 「後周」の意味・読み・例文・類語

こう‐しゅう‥シウ【後周】

  1. 中国、五代最後の王朝。九五一年郭威が後漢を廃して建国。都は汴京(べんけい)。九六〇年、三代で宋に滅ぼされた。ごしゅう。周。

ご‐しゅう‥シウ【後周】

  1. =こうしゅう(後周)

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「後周」の解説

後周(こうしゅう)
Houzhou

951~960

五代最後の中原王朝。後漢(こうかん)の節度使郭威(かくい)(太祖)が建国。第2代世宗は五代随一の名君で,契丹(きったん)を破り,対外積極策,禁軍改革,農業政策により集権化を図り,宋朝統一の基礎を築いた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「後周」の解説

後周
こうしゅう

951〜960
五代最後の王朝
後漢 (こうかん) の将軍郭威 (かくい) が建国した。2代世宗は,廃仏を行い,中国の統一をめざすとともに遼に奪われた燕雲十六州の奪回を試みたが若死し,彼の部下の趙匡胤 (ちようきよういん) がその方針を受けつぎ,後周に代わって統一に成功し,宋を建国した。

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改訂新版 世界大百科事典 「後周」の意味・わかりやすい解説

後周 (こうしゅう)
Hòu Zhōu

→周(五代)

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百科事典マイペディア 「後周」の意味・わかりやすい解説

後周【こうしゅう】

→周

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「後周」の意味・わかりやすい解説

後周
こうしゅう

「郭威」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の後周の言及

【五代十国】より

…中国で,907年(天祐4)に唐が滅び,960年(建隆1)に宋が成立して979年(太平興国4)に統一を完了するまでの時期を,五代十国時代という。この間,華北では後梁,後唐,後晋,後漢,後周の5王朝が興亡したので五代といい,その他の地域に前蜀,後蜀,呉,南唐,呉越,閩(びん),荆南(南平),楚,南漢,北漢などが併存したので十国という。唐代後半の藩鎮割拠という分裂状態が唐の滅亡で極まったのがこの時代である。…

【周】より

…中国,五代最後の王朝。後周ともいう。951‐960年。…

※「後周」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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