後藤環爾(読み)ゴトウ カンジ

20世紀日本人名事典 「後藤環爾」の解説

後藤 環爾
ゴトウ カンジ

明治〜昭和期の僧侶 西本願寺集会上首;浄土真宗西本願寺派本山執行長。



生年
明治4年4月1日(1871年)

没年
昭和11(1936)年2月23日

出生地
伊予国(愛媛県)

学歴〔年〕
仏教大学(現・龍谷大学)卒

経歴
伊予宇和島港外九島の念称寺の長男に生まれ、明治15年父が宿毛清宝寺の住職となったため父母と共に宿毛に移り住む。32年大学を卒業して帰郷。父の手伝いをしていたが、33年鎮西女学院を創設、35年京都本山教学所に入り、37年日露戦争には本願寺の従軍布教僧を命じられ第3軍司令部付として活動した。38年東京築地本願寺に務め、大正2年の関東大震災には被災者の宿泊所・簡易診療所を多数設置して救済に努めた。ついで復興局理事として灰燼に帰した築地本願寺の再建に取り掛かり、実業界の巨頭・藤原銀次郎を建築委員長に担ぎ出すことに成功、寺院の設計を東京大学教授・伊藤博圧に依頼、世界宗教建築の粋を取り入れた大寺院の建築を完成させた。昭和4〜6年京都の本山執行長となり、浄土真宗西本願寺派の集会上首(議長 最高責任者)として海外布教にも尽力傍ら、千代田高等女学校・千代田女子専門学校・武蔵野女子学園を次々と創設、それらは後に武蔵野女子大学となった。また盲人技術教育少年保護、勤労婦人のための保育所簡易宿泊所、更に病院設立各方面に活躍した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「後藤環爾」の解説

後藤環爾 ごとう-かんじ

1871-1936 明治-昭和時代前期の僧。
明治4年4月1日生まれ。浄土真宗本願寺派。明治35年京都本山教学所にはいり,38年東京築地本願寺勤務となり,関東大震災後は同寺の再建につくす。昭和4年本山執行長。また千代田高女(武蔵野女子大の前身)などを創立した。昭和11年2月23日死去。66歳。伊予(いよ)(愛媛県)出身。仏教大(現竜谷大)卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android