徒弟法(読み)とていほう(その他表記)Statute of Apprentices

改訂新版 世界大百科事典 「徒弟法」の意味・わかりやすい解説

徒弟法 (とていほう)
Statute of Apprentices

1563年に発布されたイギリスの労働立法。正式名称は〈職人日雇い,農事奉公人および徒弟に対する諸命令に関する法律〉で,〈職人法Statute of Artificers〉とも略称される。全文35条よりなり,おおむね以下の内容をもつ。第1に,農村人口の流出を阻止し,都市手工業保護して,農村工業の展開を抑えるために雇用契約の条件を規定した。そのために,期間1年未満の雇用契約や治安判事の許可を得ないで契約期間内に解雇することなどを禁じ,解雇・期間満了後の労働者の移動をも厳しく制限した。また,最低7年間の徒弟期間を終えていない者が手工業に従事することをあらためて禁じた。第2には,具体的な労働条件を規定した部分があり,職人,日雇いは4月中旬~9月中旬は朝5時~夜7時ないし8時まで,その他は夜明け日没までが労働時間とされた。賃金は治安判事らによる毎年の裁定による,としている。この法令は,1349年の労働者勅令や1555年の織布工条令など,従来の労働立法の集大成といえるが,それが資本主義的な雇用関係の発展をもっぱら阻止する反動的なものであったかどうかについては,論争がある。なお,法令の実質的な部分は1814年に廃棄された。
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百科事典マイペディア 「徒弟法」の意味・わかりやすい解説

徒弟法【とていほう】

1563年,エリザベス1世治世イングランドで制定された社会政策立法。おりから農村における囲い込みの進展によって土地を追われた農民があふれ,さらにアントワープ市場の崩壊にともない毛織物工業にも深刻な不況が訪れた。この社会情勢に対処するために,政府は職人・徒弟の雇用の安定,治安判事による最高賃金の決定などをこの法によって規定して,混乱の回避につとめたが,最終的には1601年の救貧法によって貧民救済のシステムを樹立して,社会の混乱に対応した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「徒弟法」の解説

徒弟法(とていほう)
Statute of Apprentices (Artificers)

職人条例ともいう。イングランドでエリザベス1世の治世の1563年に制定された法律。農村の労働力を確保する一方で,労働者の賃金や労働条件の規制などによる工業の保護を意図し,人口増加による失業などに対処して社会の安定を図った。

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旺文社世界史事典 三訂版 「徒弟法」の解説

徒弟法
とていほう
Statute of Apprentices

1563年,エリザベス1世時代に制定されたイギリスの社会・労働立法。職人法ともいう
全35条からなる。当時の農民の没落,社会不安の増大に対処するため,これまでの諸種の労働立法を整理し,徒弟・職人の雇用条件・労働時間・賃金などを規定した。

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