歌会始(うたかいはじめ)など宮中の和歌に関することを扱うため、かつて宮内省に置かれた部局。御歌所の初めは和歌所にあるが、1871年(明治4)宮内省に歌道御用掛(ごようがかり)が置かれ、福羽美静(ふくばよししず)、八田知紀(はったとものり)、近藤芳樹(よしき)、高崎正風(まさかぜ)らがこの任にあたった。のち文学御用掛、侍従職御歌掛を経て、88年独立して御歌所となり、長、寄人(よりゅうど)、参候(さんこう)、録事(ろくじ)などの職が置かれた。明治・大正期にかけて、所長には高崎正風、久我通久(こがみちひさ)、入江為守(ためもり)、和歌の専門家である寄人には間島冬道、黒川真頼(まより)をはじめとして、小出粲(こいでつばら)、阪正臣(ばんまさおみ)、大口鯛二(おおぐちたいじ)、井上通泰(みちやす)、千葉胤明(たねあき)、佐佐木信綱(のぶつな)、金子元臣(もとおみ)、武島羽衣(はごろも)らの歌人が在任した。これら寄人はかならずしも一流一派に限らなかったが、高崎正風が長く所長として統率したため、桂園(けいえん)派の歌人が多く、御歌所派、宮内省派とよばれ、新派和歌興隆以前の歌壇の主流をなしていた。
御歌所は1946年(昭和21)廃止され、以後、歌会始の事務だけは、宮内庁に設けられた歌会始委員会(管理は式部職)によって行われている。
[橋本不美男]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…詠進に男女の差がないのは中世以来のことである。88年に宮内省に御歌所が設置され,1946年まで常設。歌会始はその管掌するところであった。…
…1201年(建仁1)に院御所に設けられた和歌所は《新古今和歌集》の撰定にあたった。その後臨時に設置されたこともあるが,勅撰和歌集の撰集が途絶えて後は中断し,1888年(明治21)に宮内省に御歌所が置かれるに至った。歌会始【藤岡 忠美】
[和歌所寄人]
和歌所の職員は寄人(よりうど),また召人(めしうど)とよばれた。…
※「御歌所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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