禁裏和歌御会始(きんりわかごかいはじめ)として、すでに14世紀なかば(南北朝時代)の公卿(くぎょう)日記に記されているが、その始めは明らかでない。歌会が行事化され、宮中、公卿家などにおいて毎月行われる月次(つきなみ)歌会が普遍化した時代に、その年に初めて催される正月の月次歌会を御会始(ごかいはじめ)(宮中)、会始(公卿家など)とよぶようになったのであろう。天皇出席のもとに宮中で行われる和歌御会始については、14世紀後半には、出題・読師(とくじ)(詠歌を整理し、講師(こうじ)に渡す)・講師(歌を読みあげる)・講頌(こうしょう)(講師の読みあげたあと合唱する)などの諸役、参仕の人の範囲、当日の施設・服装・式次第などが定まり、これを故実として江戸末期まで続いた。
現行の歌会始は、古式に準じて1869年(明治2)正月以来毎年行われるのが例である。72年に一般国民の詠進が許され、79年から撰歌(せんか)の制度がつくられた。1946年(昭和21)までは宮内省御歌所(おうたどころ)の寄人(よりゅうど)が撰歌にあたったが、その年御歌所が廃止となり、翌年からは民間歌人5名前後が臨時に撰者となるようになった。天皇御製、皇后・成年皇族の御歌のほか、各界からの召歌(めしうた)1名、一般からの撰歌は10首前後、62年からはほかに10首余りの佳作歌も公表される。翌年の御題は当年の歌会始当日に公示され、詠進歌は平均3万余首に及び、在外邦人・外国人の詠進も多い。年内に撰歌され、御会は正月10日前後、天皇・皇后臨席のもとに預撰者も列席し、古式に準じ、預撰歌、撰者歌、召歌、皇族、皇太子妃、皇太子、皇后、御製の順に披講される。
[橋本不美男]
宮中で催されたその年最初の歌会のこと。古くは御会始などとも称し,正月に催されるとは限らなかった。現在では毎年正月に催される〈御歌会始め〉のことをいう。藤原定家が《明月記》の建仁2年(1202)正月13日の条に記したのが記録上の初見。新年の制になったのは1483年(文明15)以降のことである。近代のは1869年(明治2)正月24日,小御所で行われたのが始まりで,1874年に一般の詠進がみとめられ,79年,選ばれた作を天皇の前で披講する形ができた。詠進に男女の差がないのは中世以来のことである。88年に宮内省に御歌所が設置され,1946年まで常設。歌会始はその管掌するところであった。しかし,御歌所は江戸時代からの桂園派の人々に占められて,一般歌壇の趨勢とは無縁になっていたため,その点を批判されることになった(正岡子規《歌よみに与ふる書》)。1947年以降改組され,その事務は〈歌会始め委員会〉にひきつがれ,選者は当代に活動している歌人から年々定められることとなった。御前披講は御所伝授(二条流古今伝授)の朗詠でなされる。入選者が式場に参列するのは50年から,テレビ放映は52年からである。
→和歌所
執筆者:奥村 恒哉
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(岩井克己 朝日新聞記者 / 2007年)
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