御香宮神社
ごこうぐうじんじや
[現在地名]伏見区御香宮門前町
神功皇后・仲哀天皇・応神天皇を祭神とする。旧府社。
〈京都・山城寺院神社大事典〉
〔伏見荘鎮守〕
室町時代には、伏見荘の鎮守社として、荘民に崇敬されていた。同荘を伝領する伏見宮家の後崇光院貞成親王の日記「看聞日記」応永二四年(一四一七)六月二日条に「先日即成院盗人事令糺明、地下一庄、殿原、寺菴人供行者、土民等、悉御香宮宝前書起請文、当座其失露顕者可召捕用意也」、同書永享五年(一四三三)閏七月一九日条に「一昨夜石井神子家へ偸盗入、老入道見付、以棒令打擲蒙疵迯出云々、沙汰人為糺明、今日於御香宮地下人一庄相集、各裸ニ成テ疵検知、一人も無基疵無為也、四五百人相集」とあるように、盗人などの糺明の際には荘内住人がことごとく集い、神前において身の潔白を証明する神聖な場所であった。さらに同書永享六年一〇月四日条には「三木五郎馳参、神輿已奉下山之由有風聞、地下人怱々可参之由申、而地下輩緩々無用意之間、為召集即成院早鐘鳴、晩景御香宮集会付着到」として
<資料は省略されています>
と、山門(比叡山延暦寺)神輿入洛の風聞で室町幕府が伏見・醍醐に出動命令を出した際、住人が武装して御香宮に参集したことがみえるが、このように同社は、いったん事ある時は伏見住人が集結する場でもあった。
〔猿楽・風流〕
当宮では旧暦三月(または四月)と九月の二回、例祭が行われた。神事に付随して猿楽・風流・相撲などが勤仕され、当社は不時以外にも荘民の集う場となっていた。猿楽については、「看聞日記」応永二三年三月一〇日条に「御香宮神事、猿楽如例、楽頭八田愛王大夫」とあるように、丹波矢田(八田)猿楽が楽頭職をもって勤仕していた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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御香宮神社
ごこうぐうじんじゃ
京都市伏見(ふしみ)区桃山御香宮門前町に鎮座。祭神は神功(じんぐう)皇后ほか8神。清和(せいわ)天皇の代に境内に香りのよい水が涌(わ)き出、その奇瑞(きずい)にちなんで社名を賜ったといわれ、創建は862年(貞観4)と伝える。豊臣(とよとみ)秀吉は1594年(文禄3)当社を伏見城の艮(うしとら)に移し、鬼門鎮護の神として、社領300石を寄進した。現在の社殿は、1605年(慶長10)徳川家康がもとの場所に造営したもの。旧府社。表門は伏見城の大手門を移したもので、金熨斗付太刀(きんのしつきたち)(銘備前長光(びぜんながみつ))とともに国の重要文化財。例祭4月17日。10月上旬の神幸祭は伏見祭といわれて有名。
[飯尾直樹]
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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