徳川家達(読み)トクガワイエサト

デジタル大辞泉 「徳川家達」の意味・読み・例文・類語

とくがわ‐いえさと〔トクがはいへさと〕【徳川家達】

[1863~1940]政治家田安慶頼三男幼名亀之助明治元年(1868)徳川宗家を相続。同23年、貴族院議員となり、以後、貴族院議長日本赤十字社社長などを歴任ワシントン軍縮会議全権委員も務めた。

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精選版 日本国語大辞典 「徳川家達」の意味・読み・例文・類語

とくがわ‐いえさと【徳川家達】

  1. 政治家。公爵。田安慶頼の三男。幼名亀之助。田安家より徳川家にはいり、明治元年(一八六八徳川慶喜のあと宗家を継いで、家達と改名駿河遠江三河の三か国を領し、翌年の版籍奉還静岡藩知事。のち、貴族院議長、日本赤十字社社長などを歴任。ワシントン会議全権委員をつとめた。文久三~昭和一五年(一八六三‐一九四〇

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「徳川家達」の解説

徳川 家達
トクガワ イエサト


肩書
貴院議長,徳川家第16代当主,日本赤十字社社長,IOC委員

別名
幼名=徳川 亀之助(トクガワ カメノスケ)

生年月日
文久3年7月11日(1863年)

出生地
江戸

経歴
徳川家第16代当主。明治元年第15代徳川慶喜の大政奉還に伴い宗家を継ぎ家達と改名。同年駿河府中城主として70万石を賜封され、2年版籍奉還で静岡藩知事、3年廃藩置県で藩知事を退いた。10〜15年英国留学。17年公爵、23年貴族院議員、36〜昭和8年貴族院議長。その間大正3年組閣内命を辞退。11年第一次大戦後のワシントン軍縮会議に全権委員で出席。昭和11〜14年IOC委員を務め、アジア初の東京五輪招致に尽力したが、幻の大会に終った。また16代様として日本赤十字社長、恩賜財団済生会、東京慈恵会、日米協会各会長を務めた。妻泰子は近衛文麿の伯母。

没年月日
昭和15年6月5日

家族
父=徳川 慶頼(田安家当主) 長男=徳川 家正(外交官) 弟=徳川 達孝(田安家当主)

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20世紀日本人名事典 「徳川家達」の解説

徳川 家達
トクガワ イエサト

明治〜昭和期の公爵 徳川家第16代当主;貴院議長;日本赤十字社社長;IOC委員。



生年
文久3年7月11日(1863年)

没年
昭和15(1940)年6月5日

出生地
江戸

別名
幼名=徳川 亀之助(トクガワ カメノスケ)

経歴
徳川家第16代当主。明治元年第15代徳川慶喜の大政奉還に伴い宗家を継ぎ家達と改名。同年駿河府中城主として70万石を賜封され、2年版籍奉還で静岡藩知事、3年廃藩置県で藩知事を退いた。10〜15年英国に留学。17年公爵、23年貴族院議員、36〜昭和8年貴族院議長。その間大正3年組閣の内命を辞退。11年第一次大戦後のワシントン軍縮会議に全権委員で出席。昭和11〜14年IOC委員を務め、アジア初の東京五輪招致に尽力したが、幻の大会に終った。また16代様として日本赤十字社長、恩賜財団済生会、東京慈恵会、日米協会各会長を務めた。妻泰子は近衛文麿の伯母。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「徳川家達」の意味・わかりやすい解説

徳川家達
とくがわいえさと
(1863―1940)

旧徳川将軍家第16代当主、政治家。初め亀之助(かめのすけ)と称す。田安(たやす)家(徳川慶頼(よしより))の三男として生まれ、1865年(慶応1)家を継いだ。1868年(慶応4)前将軍慶喜(よしのぶ)が死一等を免ぜられたのち、新政府から徳川宗家(そうけ)の相続を命ぜられ、家達と改名、5月に駿河(するが)・遠江(とおとうみ)(静岡県)・三河(愛知県)70万石に転じ、翌年、版籍奉還により静岡藩知事となった。1877年(明治10)から1882年までイギリス留学、1884年公爵となり、1890年貴族院議員、1903年(明治36)同議長につき以後30年間同職にあった。その間、1914年(大正3)には、組閣の内命があったが辞退した。日本赤十字社社長、済生会会長などの名誉職に任じ、ワシントン軍縮会議の全権委員も務めた。

[井上勝生]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「徳川家達」の意味・わかりやすい解説

徳川家達
とくがわいえさと

[生]文久3(1863).7.11. 江戸
[没]1940.6.5. 東京
徳川将軍家の 16代当主,静岡藩主,政治家。田安慶頼の三男。母は高木氏。幼名は亀之助。 15代将軍徳川慶喜が明治1 (1868) 年隠退謹慎したのち,田安家から入って徳川宗家を相続。世間では,「十六代様」と呼ばれた。静岡の駿河府中城主として 70万石を領し,明治2 (1869) 年の版籍奉還後,静岡藩知事。 1877年から 1882年までイギリスに留学。 1890年貴族院開設に伴い公爵議員となり,1903年から 1933年まで貴族院議長。その間,1921年 12月ワシントン会議の全権委員。日本赤十字社社長,恩賜財団済生会会長,華族会館館長などを務め内外に活躍した。

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改訂新版 世界大百科事典 「徳川家達」の意味・わかりやすい解説

徳川家達 (とくがわいえさと)
生没年:1863-1940(文久3-昭和15)

徳川家第16代当主,政治家。田安慶頼の三男。明治維新後,徳川宗家を相続,1869年(明治2)版籍奉還により静岡藩知事となる。廃藩置県後,77年イギリスに留学,82年帰国し,84年公爵となる。90年議会開設とともに貴族院議員となり,1903年から33年まで議長を務める。その間,14年山本権兵衛内閣辞職の際,組閣の内命があったが固辞。日本赤十字社社長,済生会会長などを歴任,ワシントン会議にも列席した。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「徳川家達」の解説

徳川家達

没年:昭和15.6.5(1940)
生年:文久3.7.11(1863.8.24)
明治大正期の政治家。江戸出身。御三卿のひとつ田安家の出。号は静岳。明治1(1868)年,徳川慶喜の謹慎,水戸退去にともない徳川宗家を継ぐ。2年静岡藩知事。10年より5年にわたって英国に留学。17年公爵。23年貴族院議員。36年,近衛篤麿のあとをうけて第4代貴族院議長に就任,以後昭和8(1933)年に辞任するまで,ほぼ30年間同職にあった。この間,華族会館館長,恩賜財団済生会会長,明治神宮奉賛会会長などに就任。大正3(1914)年4月,山本内閣倒壊を受けて組閣の大命が降ったが,拝辞している。相撲通としても有名であった。

(西尾林太郎)

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「徳川家達」の解説

徳川家達 とくがわ-いえさと

1863-1940 明治-昭和時代前期の華族,政治家。
文久3年7月11日生まれ。田安慶頼(よしより)の3男。元治(げんじ)2年三卿(さんきょう)の田安家の7代となる。慶応4年徳川慶喜(よしのぶ)の跡をついで徳川宗家16代となり,駿河(するが)(静岡県)府中藩主。70万石。明治17年公爵。23年貴族院議員となり,36年から30年間にわたり貴族院議長。大正10年ワシントン会議全権委員。日本赤十字社社長,日米協会会長などを歴任。昭和15年6月5日死去。78歳。幼名は亀之助。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「徳川家達」の解説

徳川家達
とくがわいえさと

1863.7.11~1940.6.5

明治~昭和前期の政治家。徳川(田安)慶頼(よしより)の三男。幼名亀之助。徳川慶喜(よしのぶ)の養嗣子。1868年(明治元)静岡70万石をつぎ,版籍奉還後は静岡藩知事。77年イギリス留学,84年公爵,1903年以来貴族院議長5回。第1次山本内閣の辞職で後継首班に推されたが固辞。ワシントン会議では全権委員を務め,日本赤十字社社長,済生会・協調会の会長など多彩な活躍をした。

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旺文社日本史事典 三訂版 「徳川家達」の解説

徳川家達
とくがわいえさと

1863〜1940
明治〜昭和前期の政治家
田安慶頼 (よしより) の3男。1868年,15代将軍慶喜 (よしのぶ) の隠退謹慎のあと田安家から入って徳川宗家を相続。静岡藩知事を経て,'90年貴族院議員となり,1903〜33年同院議長をつとめる。その間ワシントン会議全権委員,日本赤十字社社長などを歴任した。

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367日誕生日大事典 「徳川家達」の解説

徳川 家達 (とくがわ いえさと)

生年月日:1863年7月11日
明治時代-昭和時代の華族;公爵;政治家。貴族院議員;済生会会長;日本赤十字社長
1940年没

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世界大百科事典(旧版)内の徳川家達の言及

【江戸開城】より

…4月4日,勅使橋本実梁(さねやな)と柳原前光が入城して朝旨を伝え,4月11日,江戸城は開城し,21日,大総督宮,各先鋒総督および参謀が入城し,接収を完了した。徳川家は,田安亀之助(徳川家達(いえさと))が相続,駿河70万石に移封され,慶喜も同地へ移った。7月17日,天皇の詔書により江戸は東京と改称され,10月,江戸城も東京城と改められた。…

※「徳川家達」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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