徳蔵寺(読み)とくぞうじ

日本歴史地名大系 「徳蔵寺」の解説

徳蔵寺
とくぞうじ

[現在地名]前橋市元総社町

総社(そうじや)神社境内の東にあり、功叡山蓮華院と号し、天台宗、本尊阿弥陀如来。文明三年(一四七一)足利義政の祈願所として建立され、開基は重海と伝える。往時は寺中七ヵ寺があり、幕府より朱印一六石を与えられていたという。慶長一二年(一六〇七)秋元長朝が総社城を築城するにあたり、寺中四ヵ寺を移して光巌(こうがん)寺とし、徳蔵寺一三世亮応が両寺を兼務したという。


徳蔵寺
とくぞうじ

[現在地名]七会村徳蔵

引布山金剛法院と号し、真言宗智山派、本尊は大日如来。寺伝によれば、空海が弘仁年中(八一〇―八二四)密法を宇内に広めようと徳蔵(とくら)の山中で雨乞の祈りをしたことが寺の始まりという。伽藍は盛時には僧坊三〇〇余といわれ、隆盛したが、鎌倉初期に佐白山正福(しようふく)寺(現笠間市)百坊と争い、佐白山の援軍藤原時朝勢に滅ぼされた。


徳蔵寺
とくぞうじ

[現在地名]東予市広江

広江(ひろえ)川の左岸にあり、広江の集落の南部に位置し、西の石田(いしだ)の集落に近い。もと海岸にあったが、慶長元年(一五九六)の地震で沈下浸水し、内陸の今の地に移した。密林山と号し、高野山真言宗。本尊は地蔵菩薩。

天文年中(一五三二―五五)宥玉の開基創建。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の徳蔵寺の言及

【東村山[市]】より

…西武池袋線・新宿線・多摩湖線,JR武蔵野線が通じる。臨済宗徳蔵寺には新田義貞の鎌倉攻めの際の供養碑〈元弘の板碑〉(重文)が残り,また臨済宗正福寺には1407年(応永14)建立の唐様建築地蔵堂(国宝)がある。市域西端には多摩湖がある。…

※「徳蔵寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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