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志賀重昂 しがしげたか

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

志賀重昂
しがしげたか

[生]文久3(1863).11.15. 愛知,岡崎
[没]1927.4.6. 東京
地理学者,評論家。 1884年札幌農学校を卒業,地理学の実地研究を志し,南洋各地を旅行して『南洋事情』を執筆,その南進論と国家主義的立場から西欧帝国主義による植民地収奪を論難した。その後三宅雪嶺らと雑誌『日本人』を刊行,国家主義的立場の警世家として指導的役割を果した。

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デジタル大辞泉の解説

しが‐しげたか【志賀重昂】

[1863~1927]地理学者。愛知の生まれ。号、矧川(しんせん)。三宅雪嶺らとともに国粋主義を主張、雑誌「日本人」を発行。諸外国を巡遊。著「南洋時事」「日本風景論」「世界山水図説」など。

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百科事典マイペディアの解説

志賀重昂【しがしげたか】

地理学者。号は矧川(しんせん)。三河(みかわ)岡崎藩儒の家に生まれる。札幌農学校卒。1886年オーストラリアニュージーランド南洋諸島を巡遊し《南洋時事》を著し地理学者として認められる。
→関連項目国粋主義小島烏水日本ライン三宅雪嶺

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

志賀重昂 しが-しげたか

1863-1927 明治-大正時代の地理学者。
文久3年11月15日生まれ。三宅雪嶺(みやけ-せつれい)らと雑誌「日本人」を発行して国粋保存を主張。明治28年東京専門学校(現早大)教授。35年衆議院議員(当選2回,政友会)。世界をめぐり,おおくの啓蒙(けいもう)的な地理学書をあらわした。昭和2年4月6日死去。65歳。三河(愛知県)出身。札幌農学校(現北大)卒。号は矧川(しんせん),四松庵。著作に「日本風景論」「世界山水図説」など。
【格言など】山は自然界の最も興味ある者,最も豪健なる者,最も高潔なる者,最も神聖なる者(「日本風景論」)

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朝日日本歴史人物事典の解説

志賀重昂

没年:昭和2.4.6(1927)
生年:文久3.11.15(1863.12.25)
明治大正期の思想家,政治家,地理学者。号は矧川。岡崎藩(愛知県岡崎市)藩士志賀重職,淑子の長男として生まれる。明治7(1874)年上京。攻玉社,東大予備門を経て,17年札幌農学校卒業。19年軍艦「筑波」に便乗,南洋諸島を巡航。列強による南洋分割の実態を見聞し,20年『南洋時事』を著す。21年三宅雪嶺らと政教社を設立,雑誌『日本人』を創刊。「国粋保存旨義」を主張,初期帝国議会において対外硬運動を展開。その後,中央政社,同志会の中心として活躍。さらに進歩党,憲政党,憲政本党,立憲政友会に所属。この間,30年農商務省山林局長。31年外務省勅任参事官。35,36年の2回衆院議員当選。37年落選。以後,政界を離れ,啓蒙的地理学者,世界旅行家として活動。日本人の景観美の意識変革に大きな役割を果たしたとされる著『日本風景論』(1894)は版を重ね大ベストセラーとなる。<著作>『知られざる国々』<参考文献>志賀重昂全集刊行会編『志賀重昂全集』全8巻,岩井忠熊『明治国家主義思想史研究』

(佐々博雄)

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世界大百科事典 第2版の解説

しがしげたか【志賀重昂】

1863‐1927(文久3‐昭和2)
地理学者,矧川(しんせん)と号する。三河国(現,愛知県岡崎市)に生まれる。1878年東京大学予備門に入学,80年北海道に渡り,84年札幌農学校卒業。86年ダーウィンをまねて海軍練習船筑波に便乗,オーストラリア,サモアハワイを歴訪,帰国後《南洋時事》(1887)を著して注目された。88年三宅雪嶺らと政教社を結成,雑誌《日本人》を創刊,国粋保存主義を強調した。94年日清戦争勃発の年に《日本風景論》を刊行,同じ年に出た内村鑑三の《地理学考》とともに,明治の二大地理書と呼ばれることがある。

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大辞林 第三版の解説

しがしげたか【志賀重昂】

1863~1927) 地理学者。号、矧川しんせん。愛知県の人。札幌農学校卒。三宅雪嶺らと雑誌「日本人」を創刊、国粋主義宣揚の論陣を張る。著「日本風景論」「世界山水図説」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

志賀重昂
しがしげたか
(1863―1927)

明治・大正時代の地理学者。『日本風景論』(1894初版)によって知られる地理評論家、雑誌『日本人』を通して日本精神を鼓舞した経世家である。三河(みかわ)国(愛知県)岡崎で藩士の子として出生。矧川(しんせん)と号した。東大予備門を経て1884年(明治17)札幌農学校を卒業。アイヌを案内に頼んで北海道の辺地を探検し、1886年オセアニア各地を視察して『南洋時事』(1887)を著した。世界各地の調査を行い、郷里岡崎には世界各地の木材で建てた記念館がある。『日本風景論』では、日本が水蒸気の多いこと、流水の侵食が激しいこと、火山が多いことなどをあげて風景の分析と鑑賞の方法を説いている。また、アジア大陸地質図の大成を主張し、東京地学協会草創にも加わって地理学の研究と普及に力を入れた。日本ラインの命名者でもある。[木内信藏]
『志賀富士男編『志賀重昂全集』全8巻(1927~1929・同書刊行会/復刻版・1995・日本図書センター) ▽『日本風景論』上下(講談社学術文庫)』

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世界大百科事典内の志賀重昂の言及

【ジャーナリズム】より

…また二葉亭四迷や徳冨蘆花などによる文学の革新をも実現させた。これに対抗した三宅雪嶺,志賀重昂らの政教社は,雑誌《日本人》によって陸羯南の新聞《日本》とともに〈国民主義〉を唱えた。《日本人》は高島炭鉱の坑夫の労働条件の過酷さを訴えて,いわゆるルポルタージュの先駆となり,《日本》は正岡子規の俳句再興の舞台となって国民的なひろがりをもつ短詩型文芸慣習を定位するなど,日本の近代文学に貢献した。…

【日本人】より

政教社発行の雑誌。東京大学出身の三宅雪嶺井上円了らと札幌農学校出身の志賀重昂,今外三郎らの若手知識人によって1888年4月創刊された。その主張は,藩閥政府の推進する欧化政策に反対し,〈国粋〉を〈保存〉しようとするナショナリズムにあった。…

【日本風景論】より

志賀重昂の代表作の一つで,1894年(明治27)10月発行。以後増訂を重ねて1903年には第15版が出たほど愛読された。…

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