志賀重昂の代表作の一つで,1894年(明治27)10月発行。以後増訂を重ねて1903年には第15版が出たほど愛読された。日本における近代的風景論のさきがけをなす古典的名著といわれ,現在でも文庫本などの形で流布している。本書は,日本三景とか近江八景といったステレオタイプの風景観賞の殻を破り,科学的観察と文学的・絵画的叙述とをみごとに融合させた風景論である。その特色と価値は,日本の山水美が世界的にみても優れている理由を,その気候,海流の多変多様なこと,水蒸気の多量なこと,火山岩の多いこと,流水の浸食激烈なこと,といった基本的要因をあげ,さらに著者自身の内外における実地の観察に基づく比較考察と古今東西にわたる叙景詩文の適切な引用,魅力的な筆致と多数の挿絵,科学的スケッチや図表(たとえば大日本同温線,風向,天気の図,日本の花の分類表)などによって立体的に説明した点に求められる。
執筆者:西川 治
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
1894年(明治27)10月初版。志賀重昂(しがしげたか)の代表作。風景の地理学的解釈を行ったのみでなく、日本風景の精神的な特質をも説き、多くの読者を集め、改訂増補を重ねて15版(1903)に及んだ。従来の風景論は日本三景、近江(おうみ)八景のような皮相な取り上げに終わっていたが、彼は日本の風景が優れていることを気候、海洋、地形などの実地観察、比較などに基づいて説いた。その理由を、水蒸気の多いこと、流水の侵食が激烈なこと、海流の多様なこと、火山が多いことに求め、詩文を引いて日本の位置、自然、人間の特色を海外とも比較考察し、スケッチ、同温線(等温線)図を掲げるなど理解を深めている。
[木内信藏]
『『日本風景論』上下(講談社学術文庫)』
…88年三宅雪嶺らと政教社を結成,雑誌《日本人》を創刊,国粋保存主義を強調した。94年日清戦争勃発の年に《日本風景論》を刊行,同じ年に出た内村鑑三の《地理学考》とともに,明治の二大地理書と呼ばれることがある。1905年日露国境線画定作業のため樺太(サハリン)に渡ったのをはじめ,1910年と22年に世界を旅行,その足跡はほとんど全大陸に及び,当時としては比類のない大旅行家でもあった。…
※「日本風景論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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