小島烏水(読み)コジマウスイ

デジタル大辞泉 「小島烏水」の意味・読み・例文・類語

こじま‐うすい【小島烏水】

[1873~1948]登山家・随筆家香川の生まれ。本名、久太。日本山岳会創立発起人で初代会長。山岳紀行に新生面を開いた。著「山の風流武者」「日本アルプス」など。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「小島烏水」の意味・読み・例文・類語

こじま‐うすい【小島烏水】

  1. 登山家、随筆家。名は久太。香川県出身。横浜商業学校卒。横浜正金銀行に入社。山岳に関する随筆、紀行文を多く発表。著に「扇頭小景」「日本アルプス」など。明治八~昭和二三年(一八七五‐一九四八

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小島烏水」の意味・わかりやすい解説

小島烏水
こじまうすい
(1873―1948)

登山家、美術研究家。本名久太。高松(香川県)に生まれる。横浜商業学校卒業後、横浜正金銀行に勤務するかたわら『文庫』に「一葉女史」その他の評論を発表、山県悌三郎(やまがたていざぶろう)により同誌の記者に推輓(すいばん)され、文芸批評健筆を振るってその全盛時代を築く。志賀重昂(しげたか)の『日本風景論』の影響下にあって探検時代の日本アルプスに登り、山岳紀行、山岳研究に新生面を開いた。1905年(明治38)イギリス人宣教師W・ウェストンの示唆を得て日本山岳会を創立、初代会長を務めた。1915年以後11年余、転勤先のアメリカ西海岸にあってシエラ・ネバダ、カスケード山脈に足跡をしるした。黎明(れいめい)期の登山界において先駆的役割を果たし、広重(ひろしげ)、北斎(ほくさい)に関する美術研究にも多くの業績を残した。主著『日本アルプス』全4巻(1910~15)、『氷河万年雪の山』(1929)、『アルピニストの手記』(1936)、『浮世絵と風景画』(1914)。

[近藤信行]

『『小島烏水全集』14巻・別巻1(1979~87・大修館書店)』『近藤信行著『小島烏水――山の風流使者伝』(1978・創文社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

20世紀日本人名事典 「小島烏水」の解説

小島 烏水
コジマ ウスイ

明治〜昭和期の登山家,紀行文家,浮世絵研究家 日本山岳会初代会長;横浜正金銀行サンフランシスコ支店長。



生年
明治6年12月29日(1873年)

没年
昭和23(1948)年12月13日

出生地
香川県高松市

出身地
神奈川県横浜市

本名
小島 久太

学歴〔年〕
横浜商〔明治25年〕卒

経歴
横浜商業卒業後、横浜正金銀行に勤めながら、「文庫」に評論や紀行文を投稿し、明治30年文庫記者となる。文芸批評、社会評論、山岳紀行を数多く執筆。一方、35年日本人として槍ケ岳の初登頂に成功。38年日本山岳会を創立。明治30年代後半から大正初期にかけて、日本アルプスの登頂に輝かしい記録を残す。大正4年正金銀行支店長として渡米し、米国各地の山を登る。昭和6年日本山岳会初代会長となり、10年名誉会員となる。「日本アルプス」(全4巻)をはじめ「扇頭小景」「日本山水論」「アルピニストの手記」「烏水文集」など著書は多く、また「浮世絵と風景画」「江戸末期の浮世絵」など浮世絵研究家としても知られている。「小島烏水全集」(14巻)がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「小島烏水」の意味・わかりやすい解説

小島烏水 (こじまうすい)
生没年:1873-1948(明治6-昭和23)

登山家,紀行文家。本名久太。高松出身。横浜商業学校卒業後,横浜正金銀行入社。志賀重昂の《日本風景論》に触発され,岡野金次郎らと乗鞍岳,槍ヶ岳などに登った。この間,雑誌《文庫》の編集にもかかわる。イギリス人宣教師ウェストンのすすめをうけて,1905年10月武田久吉らとともに山岳会(後の日本山岳会)を創立。その機関誌《山岳》に多くの論文,紀行文を残す。1915-27年アメリカに滞在,カスケード,シエラ・ネバダの山々に登った。31年日本山岳会初代会長,35年名誉会員。みずからの活発な登山活動とともに山岳界の育成,登山の研究に熱意を燃やした日本の登山界の大先達である。主著は《日本アルプス》4巻(1910-15),《山の風流使者》(1949)など。また,浮世絵の研究家としても知られ,《浮世絵と風景画》(1914)などの著書もある。80年より《小島烏水全集》14巻が刊行された。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

百科事典マイペディア 「小島烏水」の意味・わかりやすい解説

小島烏水【こじまうすい】

登山家,紀行文家。日本登山界の先達。本名久太。高松生れ。横浜商業卒。志賀重昂の《日本風景論》(1894年)に触発され,日本アルプスに登山。1905年ウェストンの勧めにより日本山岳会を創立し,初代会長となる。《日本アルプス》4巻(1910年―1915年)他多くの著書があり,浮世絵の研究でも知られる。→登山
→関連項目上高地サトー

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小島烏水」の解説

小島烏水 こじま-うすい

1873-1948 明治-昭和時代の登山家。
明治6年12月29日生まれ。志賀重昂(しげたか)の「日本風景論」の影響をうけ,明治35年槍ケ岳にのぼる。ウェストンのすすめで38年武田久吉らと山岳会を設立,昭和6年後身の日本山岳会初代会長。「浮世絵と風景画」など浮世絵に関する著作もおおい。横浜正金銀行勤務。昭和23年12月13日死去。76歳。香川県出身。横浜商業卒。本名は久太。著作に「日本アルプス」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小島烏水」の意味・わかりやすい解説

小島烏水
こじまうすい

[生]1873.12.29. 高松
[没]1948.12.13.
紀行文学者,登山家。本名,久太。横浜商業学校卒業。横浜正金銀行に勤務のかたわら,1897年から『少年文庫』の後身の文芸誌『文庫』の編集,執筆に参画,また『扇頭小景』 (1899) ,『日本アルプス』 (4巻,1910~15) を書き,山の紀行文学者として活躍,日本山岳会の創立発起人となった。ほかに『氷河と万年雪の山』 (29) ,『江戸末期の浮世絵』 (31) など。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

367日誕生日大事典 「小島烏水」の解説

小島 烏水 (こじま うすい)

生年月日:1873年12月29日
明治時代-昭和時代の登山家;銀行家。日本山岳会初代会長
1948年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の小島烏水の言及

【登山】より

… 日本で近代登山の風潮が芽生えたのは,1894年地理学者志賀重昂が《日本風景論》を書き,〈登山の気風を作興すべし〉と説いたこと,また1888年に来日したイギリス人宣教師W.ウェストンの働きであった。小島烏水は1902年槍ヶ岳に登り,下山後ウェストンの著《日本アルプスの登山と探検》(1896)を読んで感激し,ウェストンと会い,武田久吉らとも協力して1905年に初めての登山団体として日本山岳会をつくった。明治末期から大正初期は日本アルプスの探検時代といわれ,主要な峰の登山が盛んに行われた。…

【日本アルプス】より

…中部地方にある三つの急峻な山脈,北アルプス(飛驒山脈),中央アルプス(木曾山脈),南アルプス(赤石山脈)を合わせた名称。アルプスの呼称はヨーロッパ・アルプスにちなむもので,イギリスの鉱山技師ゴーランドWilliam Gowlandが《日本案内》(1881)に用いたのが始まりであるが,この呼称を有名にしたのは宣教師で登山家であったW.ウェストンと,明治の登山家小島烏水(うすい)の功績に帰する。ウェストンは1896年に《日本アルプスの登山と探検》をロンドンで出版して,日本アルプスを世界に紹介し,その森林美と渓谷美をたたえた。…

※「小島烏水」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

仕事納

〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...

仕事納の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android