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康慶 こうけい

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

康慶
こうけい

平安時代末期の仏師。運慶の父。運慶,快慶などすぐれた仏師を養成し,おもに奈良で活躍,正系仏師団の勢力伸展に寄与した。治承1 (1177) 年蓮華王院五重塔の造仏の賞として法橋に叙せられ,文治4 (88) 年からは興福寺南円堂の『不空羂索観音像』『四天王像』などの制作に従事。興福寺の『法相六祖像』の制作にも関与したと伝えられる。東大寺,神童寺に康慶作銘の伎楽面が伝わる。

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デジタル大辞泉の解説

こうけい〔カウケイ〕【康慶】

平安末期・鎌倉初期の仏師。運慶の父。快慶の師。慶派発展の基礎を築いた。作品に興福寺南円堂の不空羂索観音(ふくうけんじゃくかんのん)・四天王・法相六祖像、東大寺の伎楽面など。生没年未詳。

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百科事典マイペディアの解説

康慶【こうけい】

平安末・鎌倉初めの南都仏師。運慶の父。初め院尊明円ら京都派の仏師におされていたが,1180年東大寺興福寺の復興造像に運慶とともに腕を振るい慶派の発展を導いた。
→関連項目快慶定慶奈良仏師

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

康慶 こうけい

?-? 平安後期-鎌倉時代の仏師。
子の運慶,弟子の快慶らと治承(じしょう)4年(1180)の南都(奈良)焼き討ちでやけた東大寺などの復興にあたる。興福寺の不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)坐像や四天王像,東大寺の伎楽(ぎがく)面などをのこし慶派全盛の基礎をきずいた。号は肥前。

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朝日日本歴史人物事典の解説

康慶

生年:生没年不詳
平安末・鎌倉初期の奈良仏師。康朝の弟子で運慶の父,快慶の師に当たる。記録では仁平2(1152)年に高さ5尺の吉祥天像の造立が伝えられ,また治承1(1177)年蓮華王院五重塔供養の際には法橋に叙せられた。この間,安元2(1176)年作の円成寺大日如来像の銘文に「大仏師康慶実弟子運慶」と記され,その制作に当たって運慶を指導したと思われるほか,近年発見された治承1年作の静岡・瑞林寺地蔵菩薩像の銘文にみえる「法橋□慶」は,康慶の可能性が強い。康慶の主な事跡としては,治承4年の平重衡による南都焼討ち後,東大寺や興福寺の復興造像に運慶,快慶などの一門を率いて造仏に当たり,院派や円派の仏師に並ぶ活躍をしたことがあげられる。そして文治4(1188)年から翌年にかけて行われた興福寺南円堂諸像の造仏では,本尊の不空羂索観音像をはじめ,四天王像,法相六祖像などの制作を主宰し,天平彫刻の古典にならって新たな写実的作風を提示した。また,これらの復興事業を通じて多くの弟子たちを育て,鎌倉様式の基礎を確立するとともに,以後の慶派の隆盛を築いた。なお康慶は建久5(1194)年には,すでに法眼位に上っていたとみられ,翌6年の東大寺大仏殿の供養に際して,それを運慶に譲位している。さらに同7年4月7日の銘がある伎楽面(東大寺,神童寺に現存)を造り,同年,東大寺大仏殿脇侍および四天王像を運慶,快慶と共に造ったのが最後の事跡として知られている。<参考文献>小林剛「大仏師法眼康慶」(『日本彫刻作家研究』),松島健「南円堂旧本尊と鎌倉再興像」(『名宝日本の美術』5巻),田中嗣人「治承元年在銘の瑞林寺地蔵菩薩坐像」(『日本古代仏師の研究』)

(浅井和春)

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世界大百科事典 第2版の解説

こうけい【康慶】

平安後期から鎌倉初期にかけて活躍した慶派の仏師。生没年不詳。藤原期の大仏師定朝5代目の康朝の弟子と考えられ運慶の父,快慶の師に当たる。12世紀末に院派仏師や円派仏師といった旧勢力に圧せられていた慶派一門を率いて,その勢力を挽回させ,南都の東大寺,興福寺の復興事業に当たっては運慶や快慶らとともに手腕をふるい,のちの慶派発展の基礎を築いた。1152年(仁平2)高さ5尺の吉祥天を造ったというのが記録上の最初の事蹟で,77年(治承1)蓮華王院五重塔の造仏の功で法橋となる。

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大辞林 第三版の解説

こうけい【康慶】

鎌倉前期の仏師。運慶の父。東大寺・興福寺の造仏に一門を率いて参加、慶派発展の基礎を築いた。興福寺南円堂の不空羂索ふくうけんじやく観音・四天王・法相六祖像などを制作。東大寺の伎楽面には康慶の作銘がある。生没年未詳。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

康慶
こうけい

生没年不詳。平安後期から鎌倉初期にかけての仏師。運慶の父で、慶派正統の成朝(せいちょう)が関東へ下った後を受けて慶派を主宰し、院派の院尊、円派の明円らの京都仏師に圧せられていたのを挽回(ばんかい)させ、奈良の東大寺、興福寺の復興事業にも、運慶や弟子の快慶とともに手腕を振るって、後の慶派全盛の基礎を築いた。その作風は興福寺南円堂の不空羂索観音坐像(ふくうけんさくかんのんざぞう)をはじめ四天王、法相六祖坐像(ほっそうろくそざぞう)などによってうかがうことができる。1189年(文治5)の作であるこれらの像は、前代(藤原時代)の仏像の優雅端麗な姿は影を潜め、変化に富んだ動態、生き生きとした個性的な表情など、力強さをその量感や顔だちに表している。こうした作風はさらに運慶に引き継がれ、運慶様式として完成する。[佐藤昭夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の康慶の言及

【鎌倉時代美術】より

…この様式が奈良時代様式への復古なのか,また新しい中国宋代様式の影響なのか議論の分かれるところである。なによりもこの像が鎌倉彫刻を主導する康慶や運慶の様式に通ずる点が重視されよう。1176年(安元2)の奈良円成寺の大日如来像(運慶作)や1177年(治承1)の静岡瑞林寺の地蔵菩薩像(康慶作か)などが遺品として続く。…

※「康慶」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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