中国、周末戦国期(前4世紀)の名家に属する思想家。紀元前334年から前314年までの間は生存していたと考えられるが、生没年は未詳。宋(そう)国出身で、のちに魏(ぎ)の恵王(在位前369〜前319、孟子(もうし)が訪れたこともある)の大臣となり、そのとき荘子(そうし)が面会した。また縦横家(じゅうおうか)の張儀(ちょうぎ)によって魏から追われた。車5台分の蔵書があったとされるが、彼自身の著述は残っていない。「山と沢とは平らか」など「歴物十事(れきぶつじゅうじ)」という10種の、まだ意味が十分にわからない結論だけの主張が残っている。推測するに、時間・空間の無限大と無限小とを考え、その両者は最終的には同じことであるというふうに考えたらしい。どのような論証をしたのか不明であるが、当時、その論証は説得力をもっていたらしく、その意味で論理学派に数えられる。
[加地伸行 2015年12月14日]
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… 道家は,その源が戦国の乱世それ自体,すなわちこの一大社会変革の生み出す政治への不信ないし生の不安にあり,それらを理論的に解決して人々に慰めを与えるものだったので,当時の失意の士大夫の間に多数の支持者を得たのみならず,今日まで同様の時代・類似の境遇の人々に広範に信奉されてきた。その先駆は《論語》にいう逸民であるかもしれぬが,直接には戦国中~後期の(1)個人の生命の充実を重んじた楊朱,子華子,詹何(せんか),(2)寡欲に徹し闘争の否定を唱えた宋牼(そうけい),尹文(いんぶん),(3)道徳的先入観からの脱却を説いた田駢(でんへん),慎到,(4)総体としての世界の〈実〉に依拠して,あれとこれとの区別である〈名〉(概念,判断)を軽視した恵施(けいし)などであり,その成立と展開は《荘子》《老子》《淮南子》などによって最もよく知りうる。前3世紀初め,自我の撥無(はつむ)によって一の無たる世界に融即せよ,それこそが道をとらえた聖人の主体性だからとする万物斉同の哲学に始まり,そのように世界を統御しつつ同時にそこから超出して自由であれと説く遊(ゆう)の思想に受け継がれ,以後各方面に展開していった。…
…中国,戦国期の論理学派。恵施,公孫竜がその代表である。司馬遷の父,司馬談〈六家要指(りくかのようし)〉にみえる名称で,秦・漢期以後は,荀子・春秋学系の礼法制度と綱常倫理との一致をもとめる儒教的名分論のもとで,〈名家〉はその観点からの概念分析家〈名実を正す〉学派としてのみ認定された。…
※「恵施」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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