中国、戦国時代の政治家、遊説の士。魏(ぎ)国の出身。蘇秦(そしん)とともに鬼谷子(きこくし)に師事。楚(そ)に遊説したとき、楚の相(しょう)の璧(へき)を盗んだ疑いで数百回笞(むち)打たれたため、妻が遊説中止を勧めたが、「この舌があればだいじょうぶだ」といった故事は有名。蘇秦がその合縦(従)(がっしょう)策を維持する策略として、張儀を秦(しん)に送り、恵(けい)王に仕えさせた。しかしそこで恵王の厚い信頼を受け、秦のために燕(えん)、趙(ちょう)、魏、韓(かん)、斉(せい)、楚の六国に遊説して、それぞれが秦と個別に同盟する連衡(れんこう)策(衡は横の意、西方の秦と東方の六国がおのおの横に同盟すること)を成功させ、合縦を打ち破った。恵王の次の武(ぶ)王からは好まれず、群臣からも憎まれたため魏に逃れ、相となって1年で没した。蘇秦とともに、諸氏百家の縦横(じゅうおう)家に数えられる。
[太田幸男]
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?~前310/前309
戦国時代の思想家,縦横家(じゅうおうか)の一人。魏の人。秦の恵王の相となり,6国の王に秦との連衡(れんこう)策を説いて蘇秦(そしん)の合従(がっしょう)策を破った。のち連衡策も破れて失脚し,魏に逃れて死んだ。
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…前4世紀後半いらい西方の秦が強大になってくると,東の燕・斉・趙・韓・魏・楚の6国が縦に同盟して秦に対抗する合従策と,秦が6国のそれぞれと単独で同盟を結ぶ連衡策とが重要な外交政策となった。このような策を諸侯に遊説するものを縦横家(じゆうおうか∥しようおうか)とよび,合従策は蘇秦,連衡策は張儀の名が有名である。縦横家には他に蘇秦の弟の蘇代,陳軫(ちんしん),犀首らがあり,くだって漢代の蒯通(かいつう),徐楽,主父偃(しゆほえん)らもその亜流とみなされている。…
…転じて会話能力と舌との結びつきも深く,〈舌がまわる〉〈舌がなめらか〉〈舌足らず〉などの日本語の表現はその一例である。 中国戦国時代の策謀家張儀は盗みの疑いをかけられて笞刑を受け,帰宅して妻になじられた際,舌がまだ残っていれば十分だとうそぶいたという(《史記》)。弁舌をこととする縦横家にふさわしい逸話である。…
…秦は蜀を破ったあと,成都県をおいた。張儀は〈新城〉を建設し,城内に蜀郡の太守府を設けた。その後蜀郡の太守張若はさらに小城を三つ増築し,成都の範囲を拡大したが,張儀城は大城,張若城は少城または子城,小城ともよばれた。…
※「張儀」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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