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張儀 ちょうぎZhang Yi; Chang I

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

張儀
ちょうぎ
Zhang Yi; Chang I

[生]?
[没]魏,襄王10(前309)
中国,戦国時代縦横家。魏の人。蘇秦とともに鬼谷子に学んだと伝えられ,の恵王に説いて仕官に成功し,恵文王 10 (前 328) 年に丞相になった。秦の発展のために東方の諸国を支配すべきであると説き,燕,趙,魏,韓,斉,楚の6国を巧みに論破して秦に臣従させる連衡策を成功させ (→合従連衡 ) ,秦の発展の一因をつくった。

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デジタル大辞泉の解説

ちょう‐ぎ〔チヤウ‐〕【張儀】

[?~前310]中国、戦国時代縦横家(河南省)の人。の恵王に仕え、燕(えん)趙(ちょう)など六国(りっこく)に遊説して、秦を中心とする連衡策によって蘇秦(そしん)合従(がっしょう)策を破った。恵王の死後、失脚して魏に逃れて相となった。

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百科事典マイペディアの解説

張儀【ちょうぎ】

中国,戦国時代の外交家。魏に生まれ,蘇秦(そしん)とともに鬼谷子に学ぶ。に入り,六国がそれぞれ秦と同盟する連衡を説き,合従(がっしょう)の策を論破した(合従連衡)。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちょうぎ【張儀 Zhāng Yí】

?‐前310
中国,戦国の策士。魏の人。鬼谷先生に師事し,同門の蘇秦とともに縦横家(じゆうおうか)の一派に属する。秦の恵王の信任を得て宰相に登用され,六国が秦と個別に同盟を結ぶいわゆる連衡の締結に成功し,蘇秦の合従(がつしよう)策を崩壊させた。その功績により封ぜられて武信君と号したが,恵王についで立った武王と相容れず,群臣も彼を中傷したので連衡策は信頼を失い,六国はふたたび合従を結んだ。のち魏に行き,その相となったが,ほどなく没した。

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大辞林 第三版の解説

ちょうぎ【張儀】

?~前310) 中国、戦国時代の縦横家。秦の宰相となり、韓・魏・趙ちようなどの大国の王に連衡策を説いて蘇秦そしんの合従がつしよう策を破った。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

張儀
ちょうぎ
(?―前309)

中国、戦国時代の政治家、遊説の士。魏(ぎ)国の出身。蘇秦(そしん)とともに鬼谷子(きこくし)に師事。楚(そ)に遊説したとき、楚の相(しょう)の璧(へき)を盗んだ疑いで数百回笞(むち)打たれたため、妻が遊説中止を勧めたが、「この舌があればだいじょうぶだ」といった故事は有名。蘇秦がその合縦(従)(がっしょう)策を維持する策略として、張儀を秦(しん)に送り、恵(けい)王に仕えさせた。しかしそこで恵王の厚い信頼を受け、秦のために燕(えん)、趙(ちょう)、魏、韓(かん)、斉(せい)、楚の六国に遊説して、それぞれが秦と個別に同盟する連衡(れんこう)策(衡は横の意、西方の秦と東方の六国がおのおの横に同盟すること)を成功させ、合縦を打ち破った。恵王の次の武(ぶ)王からは好まれず、群臣からも憎まれたため魏に逃れ、相となって1年で没した。蘇秦とともに、諸氏百家の縦横(じゅうおう)家に数えられる。[太田幸男]

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世界大百科事典内の張儀の言及

【合従連衡】より

…前4世紀後半いらい西方の秦が強大になってくると,東の燕・斉・趙・韓・魏・楚の6国が縦に同盟して秦に対抗する合従策と,秦が6国のそれぞれと単独で同盟を結ぶ連衡策とが重要な外交政策となった。このような策を諸侯に遊説するものを縦横家(じゆうおうか∥しようおうか)とよび,合従策は蘇秦,連衡策は張儀の名が有名である。縦横家には他に蘇秦の弟の蘇代,陳軫(ちんしん),犀首らがあり,くだって漢代の蒯通(かいつう),徐楽,主父偃(しゆほえん)らもその亜流とみなされている。…

【舌】より

…転じて会話能力と舌との結びつきも深く,〈舌がまわる〉〈舌がなめらか〉〈舌足らず〉などの日本語の表現はその一例である。 中国戦国時代の策謀家張儀は盗みの疑いをかけられて笞刑を受け,帰宅して妻になじられた際,舌がまだ残っていれば十分だとうそぶいたという(《史記》)。弁舌をこととする縦横家にふさわしい逸話である。…

【成都】より

…秦は蜀を破ったあと,成都県をおいた。張儀は〈新城〉を建設し,城内に蜀郡の太守府を設けた。その後蜀郡の太守張若はさらに小城を三つ増築し,成都の範囲を拡大したが,張儀城は大城,張若城は少城または子城,小城ともよばれた。…

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