縦横家(読み)ジュウオウカ

デジタル大辞泉 「縦横家」の意味・読み・例文・類語

じゅうおう‐か〔ジユウワウ‐〕【縦横家】

中国戦国時代諸子百家の一。合従や連衡を説いた一学派。蘇秦そしん張儀など。しょうおうか。→合従連衡
両者の中間に立って方策を立てる人。策士。

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精選版 日本国語大辞典 「縦横家」の意味・読み・例文・類語

じゅうおう‐かジュウワウ‥【縦横家】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 中国の戦国時代に、時勢を見、諸国の君主を説いて、国と国を連合させようと策をはかった人。合従(がっしょう)策の蘇秦、連衡(れんこう)策の張儀など。〔漢書芸文志
  3. 両者の間に立って策謀をめぐらす人。策士。

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百科事典マイペディア 「縦横家」の意味・わかりやすい解説

縦横家【じゅうおうか】

中国,戦国時代(春秋戦国時代)の諸子百家の一つ。他の諸派のような一定の主義・主張を持つものではなく,弁舌と野望をもって戦国時代の各国君主の外交的駆け引きに奔走した策士たちの総称であるから,思想史上にみるべき貢献をしたものではない。最も有名なのは蘇秦〔?-前317〕と張儀〔?-前310か前309〕である。戦国末に七国(戦国の七雄)が台頭した時期にあたり,蘇秦は秦以外の東方六国にむけて,秦に対抗して縦(南北)に同盟する(これを合従(がっしょう)という)ことを提案した。一方,張儀は西の秦と東方の六国を横(東西)に個々に連ね(これを連衡という),やがて秦に吸収する策を論じた。この合従連衡策にちなんで縦横家の呼び名が生じた。この2人の名声によって,その流儀に従う策士が輩出し,諸国間を往来して,あるいは君主に仕えて権謀術数を尽くしたが,六国はこうした外交的駆け引きのなかで衰退にむかって秦の始皇帝による統一(前221年)にいたり,策士たちも互いに排斥しあうなどして活躍の舞台を失っていった。
→関連項目合従連衡蘇秦張儀

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改訂新版 世界大百科事典 「縦横家」の意味・わかりやすい解説

縦横家 (じゅうおうか)
Zōng héng jiā

中国,古代の諸子百家に数えられた外交の策士家たち。〈しょうおうか〉ともいう。〈縦横〉とは,戦国期の蘇秦の合従(がつしよう)策(約従(やくしよう),従親(しようしん)とも)と張儀の連衡(れんこう)策で知られた〈従(たて)(南北系)〉と〈衡(よこ)(東西系)〉の国際同盟を唱える外交策のこと。《韓非子》五蠹(ごと)にその内容を伝える。国際,国内の情勢変化を洞察して国君を遊説し,巧妙な弁説で権勢を動かしたこの外交上の策謀は,〈従横長短〉〈従横捭闔(はいこう)〉と呼ばれ,連合,離間,和戦の交渉を通じて戦国諸侯の政権や国益を左右した。秦・漢統一帝国以後は,国家に忠誠な外交官の辞令,便事の全権委任は認められたが,その弁説と術策による外国との通謀を〈詐諼(さけん)(二枚舌)〉の辞として危険視された(《漢書》芸文志)。後漢・三国期に復活した〈合従連衡〉には,相互利益の同盟を従(しよう),脅迫による盟約を横(こう),とする解釈が定着した(臣瓚説)。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「縦横家」の意味・わかりやすい解説

縦横家(じゅうおうか)
じゅうおうか

中国の戦国時代におこった学派、九流十家の一つ。「しょうおうか」とも読み、「従横家」とも記す。命名は、戦国後半期の二大外交政策である合縦(合従)連衡(がっしょうれんこう)の策に由来する。蘇秦(そしん)・蘇代兄弟が唱えた合縦とは、東方の六国(りっこく)が西方の秦国に対抗すべく縦(たて)(南北)に盟約する策。張儀(ちょうぎ)が主張した連衡とは、六国を秦国と横(東西)に連携させて秦に吸収しようとする策。蘇張の例に示されるように、策略列国を連合させるなどの外交政策を説き、天下の政治の動向に通暁した遊説の士が、縦横家の実体とみなされる。班固(はんこ)の『漢書(かんじょ)』芸文志(げいもんし)に、縦横家の書12点をあげるが、いずれも現存しない。ただし、縦横家風の言辞は、『戦国策』『史記』蘇秦張儀列伝などのうちに具体的にうかがうことができる。

[伊東倫厚]


縦横家(しょうおうか)
しょうおうか

縦横家

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「縦横家」の意味・わかりやすい解説

縦横家
じゅうおうか
Zong-heng jia

中国,古代の諸子百家の一つ。しょうおうか,とも読む。戦国時代に時勢の変化を洞察して政治,特に外交政策について巧みな弁舌をもって諸侯に説いた一群の人々。その代表者の蘇秦が秦に対抗するため韓,魏など六国を同盟させた合縦 (がっしょう) 策と,張儀が秦のため六国を連合して服従させようとした連衡策 (衡とは横の意味) からこの名称が生れた。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「縦横家」の解説

縦横家(じゅうおうか)

諸子百家の一つ。弁舌と野望をもって戦国時代の各国為政者にとりいった政略家。蘇秦(そしん)張儀(ちょうぎ)のほか,10人の縦横家が知られる。『戦国策』は彼らの言行を記録した書。


縦横家(しょうおうか)

縦横家(じゅうおうか)

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旺文社世界史事典 三訂版 「縦横家」の解説

縦横家
じゅうおうか

諸子百家の1つ
戦国時代,もっぱら諸国間の外交的駆引きに奔走した策士たちで,西方の強国秦に対し,六国の合従 (がつしよう) を唱えた蘇秦 (そしん) ,連衡 (れんこう) を主張した張儀 (ちようぎ) らが有名。

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世界大百科事典(旧版)内の縦横家の言及

【合従連衡】より

…前4世紀後半いらい西方の秦が強大になってくると,東の燕・斉・趙・韓・魏・楚の6国が縦に同盟して秦に対抗する合従策と,秦が6国のそれぞれと単独で同盟を結ぶ連衡策とが重要な外交政策となった。このような策を諸侯に遊説するものを縦横家(じゆうおうか∥しようおうか)とよび,合従策は蘇秦,連衡策は張儀の名が有名である。縦横家には他に蘇秦の弟の蘇代,陳軫(ちんしん),犀首らがあり,くだって漢代の蒯通(かいつう),徐楽,主父偃(しゆほえん)らもその亜流とみなされている。…

【縦横家】より

…中国,古代の諸子百家に数えられた外交の策士家たち。〈しょうおうか〉ともいう。〈縦横〉とは,戦国期の蘇秦の合従(がつしよう)策(約従(やくしよう),従親(しようしん)とも)と張儀の連衡(れんこう)策で知られた〈従(たて)(南北系)〉と〈衡(よこ)(東西系)〉の国際同盟を唱える外交策のこと。《韓非子》五蠹(ごと)にその内容を伝える。国際,国内の情勢変化を洞察して国君を遊説し,巧妙な弁説で権勢を動かしたこの外交上の策謀は,〈従横長短〉〈従横捭闔(はいこう)〉と呼ばれ,連合,離間,和戦の交渉を通じて戦国諸侯の政権や国益を左右した。…

【合従連衡】より

…前4世紀後半いらい西方の秦が強大になってくると,東の燕・斉・趙・韓・魏・楚の6国が縦に同盟して秦に対抗する合従策と,秦が6国のそれぞれと単独で同盟を結ぶ連衡策とが重要な外交政策となった。このような策を諸侯に遊説するものを縦横家(じゆうおうか∥しようおうか)とよび,合従策は蘇秦,連衡策は張儀の名が有名である。縦横家には他に蘇秦の弟の蘇代,陳軫(ちんしん),犀首らがあり,くだって漢代の蒯通(かいつう),徐楽,主父偃(しゆほえん)らもその亜流とみなされている。…

【春秋戦国時代】より

…老子や荘子の考えは,道を根本として構成されるので,道家とよぶ。このほか論理学を説く名家,陰陽論を説く陰陽家,上述の蘇秦・張儀のごとく外交術を説く縦横家,農業技術や農民思想を説く農家など多くの流派の思想家が活躍し,互いに影響しあい,中国史上最も自由に思想が説かれた時代であり,これらを諸子百家と総称するが,後世に大きな影響を与えたのは儒家と道家であり,法家は思想として表面にあらわれなかったが,儒家の徳をたてまえとする政治を支える技術としてつねに利用された。 このように多様な思想が自由に展開したのは,人間精神の躍動を示すものであり,これは芸術にもあらわれた。…

【中国文学】より

…人物のいきいきとした描写,事件の展開のむだのない記述に手腕をみせる《左氏伝》は《春秋》とならんで編年体の歴史書の模範となった。この時期に(《荘子》のごとく架空の人物の対話を作るのではなく)実在の人物の言論を想像によって再現する方法を教えた学派(縦横家など)があった。その作文を集めたのが《戦国策》である。…

※「縦横家」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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