政治や行政をはじめとするさまざまな社会的課題について、賛成・反対、改定の要請、あるべき方向や自らの立場などを世論に訴え、理解を求め、場合によってはなんらかの行動を促すための広告。広告主となるのは、非営利組織・団体、個人、業界団体だけでなく、営利企業の場合もある。英語ではアドボカシー広告advocacy advertising(自らの立場を擁護する広告)、イシュー広告issue advertising(論争広告)などとよばれる。広告に提示される意見には、まっこうから反論が示される可能性も高く、議論を生むこともあるが、議論を起こすこと自体を目的とすることも多い。ACジャパン(旧、公共広告機構)のような組織が行う公共広告public service advertising(公共奉仕広告)も、社会問題解決のためにある種の意見を述べる広告なので広い意味では意見広告といえるが、そこに提示される意見は賛否両論があるものは少なく、一般的には意見広告と区別されている。
第二次世界大戦後、日本で意見広告が大きな話題になったのは1960年代である。1965年(昭和40)に、日本のベトナム戦争反戦運動団体「ベトナムに平和を!市民連合」(略称、ベ平連)が、『ニューヨーク・タイムズ』に「爆弾はベトナムに平和をもたらすか?日本の友人からの訴え」とうたった全面広告を出稿し、日本のメディアや広告業界で話題になった。その後、1973年に自由民主党が行った「前略 日本共産党殿 はっきりさせてください。」という共産党の政策批判広告や、1975年に国鉄(現、JR)が行った「国鉄(わたくし)は話したい」という値上げへの理解を求める広告も、意見広告ということばを世間に知らしめるものになった。
1970年代後半から1980年代にかけては、日本の経済成長を背景とし、外国の対日政策に対して日本企業が自らの立場を訴える意見広告を海外メディアに掲載した。アメリカ財務省が日本製テレビに対して反ダンピング税を課したことに対して、1979年、日本電子機械工業会(現、電子情報技術産業協会)は課税に徹底的に反対する意見広告を『ニューヨーク・タイムズ』に掲載した。1980年、日本自動車工業会は日本車の輸入規制を検討するアメリカ国際貿易委員会に対して、輸入規制はアメリカ国民に損失を与えるという内容の意見広告を『ニューヨーク・タイムズ』ほかで行った。日本電子機械工業会は、1983年にEC(ヨーロッパ共同体)が検討するCDプレーヤーの関税引き上げは、ECにとってマイナスであるという意見広告を欧州紙に掲載した。意見広告の掲載によって、これらの政策が棚上げになったわけではないが、少なくとも日本企業の立場を海外に向けて訴え、議論をよぶ力はあったといえよう。
1990年以降の意見広告のテーマは、さらに広がりを見せている。全国広告関連労働組合協議会が、広告会社社員の過労死の事例を取り上げ、「日本人は働きすぎて死んでいく」という意見広告を『ニューヨーク・タイムズ』に掲載し、日本の労働条件についての反響をよんだのは1991年である。
臓器移植法の成立(1997)に先だち、1994年(平成6)に全国紙に掲載された哲学者梅原猛(たけし)らによる臓器移植に反対する意見広告の内容は、脳死を人の死と認めるか、移植を受けた患者の健康状態はどうなるのか、といった点で議論をよぶこととなった。重篤な状態にある患者のために一日も早く臓器移植を可能にしたいという意見も存在することを考えると、一つの課題への賛否を巡る意見広告の意義が理解できる例である。
相反する意見の応酬となった意見広告としては、首都機能移転問題について、「栃木県国会等誘致推進連絡会議」が栃木県に首都を移転させたいという意見広告を日本経済団体連合会の機関誌『月刊 Keidanren』で行い(1994)、東京都は移転反対を訴える意見広告を在京7紙に掲載し(1999)、都バスの車体を使った「首都移転反対ラッピングバス」を運行させた(2001)という例もある。
2009年(平成21)、弁護士やジャーナリスト、学者などで構成される「一人一票実現国民会議」という団体は、現在の選挙における一票の不平等を取り上げ、最高裁判決で不平等を容認した裁判官を名指しし、国民審査権を行使して罷免の意思を示す「×印」をつけようと訴える意見広告を全国紙を使って行った。不平等を容認した裁判官が罷免されるところまではいかなかったものの、×印は他の裁判官より多かった。具体的な行動を呼びかける意見広告としては特筆すべき例と考えられる。
[嶋村和恵]
『放送批評懇談会編『現代意見広告論』(1975・時事通信社)』▽『糸川精一、後藤和彦、島守光雄編『日本の意見広告 資料集 1975』(1976・宣伝会議)』▽『植条則夫著「意見広告とアクセス権の諸問題」(『社会的コミュニケーションの研究2』所収・1986・関西大学経済・政治研究所)』
政治,経済,社会,教育,文化などの公的課題について提案したり,賛否を問うような形の広告。しかし,企業のイメージ,社会への貢献などを内容とする企業広告やPR広告との境界はあいまいである。日本の企業の意見広告では,すでに1900年アメリカのタバコ資本と提携した村井兄弟商会と,この提携を批判した木村商店との間の〈国益論争〉がある。政党広告や選挙広告は意見広告の明白な型で,28年の第1回普通選挙では政友会田中義一,民政党浜口雄幸両総裁の演説写真入りの1ページ広告合戦が展開された。60年の総選挙に至って池田勇人自民党総裁が〈私はウソを申しません〉と語るテレビCMも登場した。第2次世界大戦後,新聞各社は編集面だけでなく,広告面でも中立・公正,不偏不党の立場から,公職選挙法に基づく広告は例外として,政治性やイデオロギー性の濃い広告は掲載しない方針を永く保ってきたが,高度経済成長に伴い,社会的利害や争点が複雑多様化する中で,各社は68年から70年代にかけて広告掲載基準を改訂し,意見広告への規制を緩和していった。意見広告に対する一般の関心は,73年に自民党が《サンケイ》(現〈《産経新聞》〉)紙上で共産党の政策批判を行い,共産党が〈虚偽の広告で党の名誉を傷つけられた〉として同紙上で無料の反論広告の掲載を求める訴訟を起こしたこと,さらに75年に国鉄が再建問題で3日連続の1ページ広告キャンペーンを展開したころから高まった。70年代後半からは資源,環境,国土,高齢化社会,国際関係などをテーマとする政府や企業の広告のほか,日本医師会や宗教団体も意見広告に乗り出している。
アメリカでは,意見広告はアドバトリアルadvertorial,エディトリアル広告editorial advertising,アドボカシー広告advocacy ad.などと呼ばれる。1930年代には産業界による反ニューディール・キャンペーンの強力な手段となっている。60年代から70年代にかけて,ベトナム戦争をはじめ人権,消費者,環境,エネルギー・資源問題などで社会的亀裂が広がるにつれて,意見広告は産業界ばかりでなく,市民団体も積極的に行うようになってきた。日本のベ平連が《ニューヨーク・タイムズ》に反戦広告を初めて掲載したのは65年である。70年代初頭のアメリカ産業界の広告は環境対策に集中,73-74年の石油危機の際は,エネルギー・資源問題が中心テーマとなったが,意見広告はその時点の社会的課題を描き出している。アメリカ企業の意見広告活動は〈自由企業制度〉に対する国家の介入に直接,間接的に対抗するため世論に訴える点に特徴がある。また意見広告のあり方をめぐり,州民投票に影響を与える企業の政治活動(その一環としての政治的広告)を禁じている州法などにつき,合衆国憲法修正第1条の言論の自由との関係で裁判でも争われている。
意見広告は,社会的,公的な争点に関する意見の提示となることから,表現の自由とともに平等性が重要な課題となる。このため一つの意見広告に対して資金をもたぬ反対者が反論広告を行いうるメディア・アクセス権に基づく制度づくりも必要とされる。
執筆者:小倉 重男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
(高橋郁夫 慶應義塾大学教授 / 2007年)
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…すなわちバロンらによれば,アメリカ合衆国憲法修正1条の言論・出版の自由はだれでもがアクセスできる〈思想の自由市場〉理念に立脚しているが,独占的マス・メディアの支配する現代においては,まったく非現実的なものとなった。そのような状況の下では,非体制的ないし反体制的な意見や少数者の主張は構造的に締め出されるのだから,意見広告や反論その他の方法で一般市民がメディアに登場する機会が法的に保障されなければならないとする。 この主張は放送メディアにおける反論権として,合衆国最高裁判所で認められることになったが(1969,レッド・ライオン放送局事件),新聞紙上での反論権は逆に否定された(1974,マイアミ・ヘラルド事件)。…
※「意見広告」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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