意賀美神社(読み)おがみじんじや

日本歴史地名大系 「意賀美神社」の解説

意賀美神社
おがみじんじや

[現在地名]岸和田市土生滝町

「延喜式」神名帳に載る「意賀美オカミノ神社」に比定される。祭神は闇意賀美神。旧村社。武塔むとう天神社・雨降あふり神社・雨降大明神と称された。境内には雨降滝がある。伝えによると、天平四年(七三二)に畿内に大旱魃があり聖武天皇は苦慮していたが、神の夢告により滝の側に祀られていた当社幣帛を捧げたところ大雨が降ったという。その後、元慶八年(八八四)の旱魃時に菅原道真を奉幣使として祈雨したところ霊験があったので、これ以降雨降明神と称されたという(大阪府全志)。建長元年(一二四九)六月二八日の木島郷土生度田数注文案(久米田寺文書)に「雨降大明神免田五反」とみえる。この注文案には他に免田をもつ神社は記されていないので、当社は土生はぶ村民から雨降の神としてあつい崇敬を受けていたことがわかる。正応二年(一二八九)書写の「和泉国神名帳」にみえる「従五位上意神社」は当社をさすものと思われる。

意賀美神社
おかみじんじや

[現在地名]枚方市枚方上之町

通称万年寺まんねんじ山にある。初め須賀すが神社と称したが、明治四二年(一九〇九)おか日吉ひよし神社、伊加賀いかがの意賀美神社を合祀して現社名に改めた。祭神は素盞嗚尊(須賀・意賀美神社祭神)、高(意賀美神社祭神)大山咋神・大国主神(日吉神社祭神)。当社の起源は不明だが、貞観一四年(八七二)疫病が流行したとき、清和天皇が万年寺を建立した僧聖宝に命じて牛頭天王を勧請、疫病消滅を祈らせたのが始まりで、牛頭天王、また祇園社とも称した(枚方市史)。「河内名所図会」に牛頭ごず天王祠として「三矢地下町にあり、牧方の生土神とす、例祭、六月朔日、秋祭、九月九日、傍に仁徳天皇祠あり、今、稲荷と称す」とみえる。

意賀美神社
おがみじんじや

[現在地名]泉佐野市上之郷

西流する樫井かしい川左岸の山手に鎮座する。祭神は高神。旧郷社。俗に「武塔の天神」とも称される。創祀年代は不詳だが、古く樫井川流域農耕民の水源神として祀られたものと思われる。「延喜式」神名帳に載る日根郡の同名社に比定される。正応二年(一二八九)書写の「和泉国神名帳」にみえる「従五位上宇加女社」は当社をさすか。文化一〇年(一八一三)の日根野・上之郷・長滝・菟田四箇村氏神ニ付言上書(古谷家文書)によると上之郷村に「天神社宮座」があったが、この天神社は当社をさすと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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