慰問袋(読み)イモンブクロ

デジタル大辞泉 「慰問袋」の意味・読み・例文・類語

いもん‐ぶくろ〔ヰモン‐〕【慰問袋】

出征軍人などの慰問のために手紙・日用品・娯楽品などを入れた袋。

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精選版 日本国語大辞典 「慰問袋」の意味・読み・例文・類語

いもん‐ぶくろヰモン‥【慰問袋】

  1. 〘 名詞 〙 ( [英語] comfort bag の訳語 ) 戦地兵士などを慰問するために、日用品、娯楽用品などを入れて送る袋。
    1. [初出の実例]「同会に五百余個の慰問袋の寄贈あり」(出典:時事新報‐明治三七年(1904)一一月二二日)

慰問袋の語誌

アメリカの婦人戦場の兵士たちに comfort bag を送って、喜ばれたというアメリカ矯風会からの助言を受けて、日露戦争の時、日本の婦人矯風会が comfort bag を「慰問袋」と直訳。佐世保鎮守府司令長官宛に百個の慰問袋を送り、「慰問袋」が流行語となった。

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改訂新版 世界大百科事典 「慰問袋」の意味・わかりやすい解説

慰問袋 (いもんぶくろ)

日本の国内から戦地の将兵へ慰問のために送られた袋。ふつう横30cm,縦40cmぐらいの布袋で,中には武運長久の御守,薬品,タバコ,セッケン缶詰などの日用品と慰問状が入れられ,それが契機となって兵士と差出人との間で文通が行われることもあった。袋は家庭で各自が手ぬぐいを二つ折りにして作るほかに市販品もあり,デパートでは中身のはいった既製品も売られていた。慰問袋の作製は日露戦争のときに出征軍人家族慰問婦人会,愛国婦人会,婦人矯風会などが取り組んだのがその始まりとされている。満州事変以後広く実施されるようになり,このころになると,全国の学校や職場で取り組まれたのをはじめ,市町村当局が婦人会や青年団の協力のもとに町内会や部落会をとおして慰問袋の作製を各家庭に割り当てており,慰問袋は市町村当局を経て軍の恤兵(じゆつぺい)部に集められ戦地に送られた。町内会など地域単位の組織は,行政当局によってしだいに国民組織に編成され,慰問袋や兵士との文通という活動は,兵士ばかりでなく銃後の国民を戦争協力体制に組み入れていく契機となったのである。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「慰問袋」の意味・わかりやすい解説

慰問袋
いもんぶくろ

戦地の兵士を慰問するため日用品や娯楽用品、雑誌、御守り、手紙などを入れて送る袋。日露開戦直後の1904年(明治37)3月婦人矯風会の会員が、アメリカ矯風会の経験談をヒントに、100個をつくり送ったのが始まり。慰問袋の名もcomfort bagの直訳。31年(昭和6)満州事変が起こると、新聞社の提唱国防婦人会が中心となって郷土部隊の兵士に慰問袋を送る運動が大々的に展開され、37年からの日中戦争ではさらに大量の慰問袋が銃後と前線を結んだ。商品化もされ、38年にはできあいの慰問袋が1個2円から5円だった。やがて戦争が拡大、将兵数が激増し、物資欠乏、輸送困難となるにつれ、慰問袋も先細りとなった。

[森脇逸男]

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