成菩提院(読み)じようぼだいいん

日本歴史地名大系 「成菩提院」の解説

成菩提院
じようぼだいいん

京都市伏見区に所在した鳥羽とば離宮東殿御所に建造されていた御堂の一。同じく東殿にあった安楽寿あんらくじゆ院・白河天皇しらかわてんのう陵・鳥羽天皇とばてんのう陵・近衛天皇このえてんのう陵が現存しており、ほかの南殿・北殿などに比べその旧跡も比較的推定しやすい。すなわちこれら御陵を含む東殿は、伏見区竹田内畑たけだうちはた町・同竹田浄菩提院たけだじようぼだいん町周辺地と推定され、成菩提院は白河天皇陵の北に位置していたと思われる。

〈京都・山城寺院神社大事典〉

〔御塔の建立〕

白河法皇の発願により嘉承三年(一一〇八)六月二日、鳥羽東殿の地に御塔建立地が選定された。「中右記」同月三日条に「暁法皇有御幸鳥羽、仍参入、(中略)卯時許出御、先御于鳥羽東殿、御覧可御塔之所禁中全無眺望之所、大略有深御慮、所被立歟、播磨守基隆朝臣奉也」とあり、眺望のきかない所であったが、白河法皇の考えでこの場所が選ばれた。翌天仁二年(一一〇九)八月一八日御塔の落慶供養が行われた。「殿暦」同日条に「今日雨甚降、雖然必可遂供養也、仍午剋許渡御塔所、(中略)事了程有賞、導師範俊権僧正、以弟子法眼厳覚任小僧都、行事伊与守基隆重任、工国定叙従(上)五位(中略)今日公家中宮、皇后宮皆御(誦カ)経所」とあり、鳥羽天皇・中宮篤子・令子内親王が御幸、供養導師は範俊権僧正、藤原基隆は功により伊予守に重任されている。

成菩提院
じよぼだいいん

[現在地名]山東町柏原

柏原かしわばら集落の北方、旧中山道を見下ろす山麓にある。寂照山円乗えんじよう寺と号し、天台宗。本尊十一面観音。寺伝によれば、弘仁六年(八一五)最澄が当地に談義所を建てたのに始まり、のち延暦寺の別院の一つとなる。嘉暦元年(一三二六)越前平泉へいせん(現福井県白川村)衆徒が乱入、堂宇が焼かれたが、応永二年(一三九五)延暦寺西塔宝薗さいとうほうえん院の貞舜が足利義満の心願を受け、寺坊を再興し住持したという。貞舜は当寺で「天台名目類聚抄」(七帖見聞)を著した(輿地志略)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「成菩提院」の解説

成菩提院

(滋賀県米原市)
湖国百選 社/寺編指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

世界大百科事典(旧版)内の成菩提院の言及

【鳥羽殿】より

…29年(大治4)に白河法皇が没し,その遺骨を上記の東殿三重塔内に安置した。そして没時の在所三条室町殿西対を鳥羽殿東殿へ移築し,九躰阿弥陀堂につくりかえ成菩提院(じようぼだいいん)と名づけ,三重塔の拝所にあてた。鳥羽法皇は鳥羽殿北殿に36年(保延2)宇治平等院鳳凰堂を模した勝光明院(しようこうみよういん)御堂を造立し,東殿には37年に安楽寿院(あんらくじゆいん)九躰阿弥陀堂,39年に三重塔,40年に炎魔天堂と美福門院塔を造立した。…

※「成菩提院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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