日本歴史地名大系 「成菩提院」の解説
成菩提院
じようぼだいいん
〔御塔の建立〕
白河法皇の発願により嘉承三年(一一〇八)六月二日、鳥羽東殿の地に御塔建立地が選定された。「中右記」同月三日条に「暁法皇有御幸鳥羽、仍参入、(中略)卯時許出御、先御于鳥羽東殿、御覧可被立御塔之所禁中全無眺望之所、大略有深御慮、所被立歟、播磨守基隆朝臣奉也」とあり、眺望のきかない所であったが、白河法皇の考えでこの場所が選ばれた。翌天仁二年(一一〇九)八月一八日御塔の落慶供養が行われた。「殿暦」同日条に「今日雨甚降、雖然必可遂供養也、仍午剋許渡御塔所、(中略)事了程有賞、導師範俊権僧正、以弟子法眼厳覚任小僧都、行事伊与守基隆重任、工国定叙従
成菩提院
じよぼだいいん
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報