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 はかま

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説


はかま

和服の一種で,腰から下に着るもの。洋装のズボンスカートにあたる。代表的なものは,正方形の襠 (まち) が股上につき,現在の並幅 (約 36cm) ぐらいの布が前後左右についた褌 (したばかま) で,古代から江戸時代末期まで着用され明治以降にも及んだ。

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デジタル大辞泉の解説

こ【×袴】

はかま。また、ももひきやズボンなど下半身にはくもの。

はかま【×袴】

《「穿(は)く裳(も)」の意かという》
和服で、着物を着た上からつけて、腰から下を覆う緩やかな衣服。ひもで腰に結び留める。行灯(あんどん)袴、馬乗(うまのり)袴、近世に礼服として用いられた長袴など種類が多い。「をつける」
つくしの節を包む苞葉(ほうよう)。また、笹や草の茎を包む葉鞘(ようしょう)や、どんぐりのお椀のこと。
酒徳利を据えておくための、筒型またはます型の器。

パジ【袴】

《〈朝鮮語〉》朝鮮の民族服で、ズボン形式の下衣。チョゴリなどの下にはく。バチ。

バチ【袴】

《〈朝鮮語〉》⇒パジ

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百科事典マイペディアの解説

袴【はかま】

和装の腰から下をおおうゆるやかな衣服。左右にわかれた筒状の中に片方ずつ足を通し,腰の部分のひもを結んで着用する。古くから用いられたが近世以後著しく発達した。男袴には,束帯に用いる表袴(うえのはかま),大口(おおくち),指貫(さしぬき),狩衣(かりぎぬ)に用いる狩袴,指貫を切袴にした指袴(さしこ),指貫に似た小袴,膝(ひざ)までの四幅袴(よのばかま),長裃(かみしも)に用いる長袴,半裃に用いる半袴,半袴と同様の平袴,襠(まち)の高い野袴,裾(すそ)の細い踏込(ふんごみ),乗馬用の馬乗(うまのり)袴,共布の脚絆(きゃはん)のついた伊賀袴,現在も式服として用いる襠高袴,略式で襠のない行灯(あんどん)袴などがある。
→関連項目直垂

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日本文化いろは事典の解説

[男性用] 袴には主に2種類あり、スカートのように間に仕切りのない筒状の袴を「行灯袴〔あんどんばかま〕」、ズボンのように2つに分かれている形の袴を「馬乗袴 〔うまのりばかま〕」と言います。既婚・未婚・慶弔など状態や環境に関わらず着用でき、紋付羽織と合わせると正装・礼装に位置します。

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世界大百科事典 第2版の解説

はかま【袴】

洋装のズボンやスカートのように,和装の下半身にはき,腰から脚をおおう衣服。前後両部からなり,下部は左右に分かれて筒状に縫い合わされ,ここに両足を通し,上部につけられたひもを結んで着装する。山袴のように布幅の少ないものはズボン状をなすが,襠高(まちだか)袴のように布幅の多いものはきわめて緩やかで,行灯(あんどん)袴のようにスカート状のものもある。〈婆加摩(はかま)〉の語は早く《日本書紀》に見え,また袴,褌の文字もすでに《古事記》《日本書紀》に用いられている。

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食器・調理器具がわかる辞典の解説

はかま【袴】

徳利(とっくり)の下部を入れて用いる方形、円形のうつわ。酒を燗(かん)した時の持ち運びや膳に据える際の安定のために用いる。

出典|講談社
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説


はかま

和服の一種で下半身衣である。上下二部で成り立っている衣服の下衣で、股(また)があり両足をそれぞれ通してつける衣を「はかま」といい、股のないものを裳(も)という。日本の古墳時代の男子は衣褌(きぬはかま)、女は衣裳(きぬも)の服装であった。その後、服制により褌から袴に変わった。古代から近世を経て今日までに多様の変遷がみられる。
 女子は公家(くげ)社会において、裳の後退により袴が表出し、平安時代以降の女房装束構成要素の一部として、なくてはならないものであった。鎌倉時代以後しだいに裳が脱落し、宮廷の女房は衣(袿)袴の姿を正装とするようになった。武家および一般の女子においては、小袖(こそで)の発達に伴い打掛小袖姿を正装とし、袴を用いることはなかった。これが今日の女子の和服につながる。[藤本やす]

変遷


男子
古墳時代の男子の褌は緩やかな太いズボン形式のものであった。飛鳥(あすか)時代の袴は、『天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)』にある男子の姿によれば、衣と袴の間に褶(ひらみ)を着しているが、その後、褶は着なくなる。これは、漢族の形式によって衣の丈が長くなり、袴が細めになったためである。この袴の形式は前で開き、腰(紐(ひも))は一腰で結ぶようになっている。男子束帯構成の要素となっている大口袴、表袴(うえのはかま)はそれぞれ形態を異にしており、大口袴は下袴で共布引返しに仕立てられた袷(あわせ)である。襠(まち)は角襠、腰は一腰で脇(わき)で結ぶ。表袴は袷であるが、表裏の布地、色ともに異なる。襠は長方形の幅の狭い丈長で、後ろは左右いっしょに縫い付けるが、前は左右それぞれ腰に縫い付けて左右に開く。腰は一腰で前を重ね合わせ脇で結ぶ。684年(天武天皇13)の服制の平服に括緒袴(くくりおばかま)とあり、指貫(さしぬき)は括緒の奴袴(さしぬき)で無位の男子の袴である。これは鷹狩(たかがり)に用いた狩袴でもあったが、公家が用いるようになると絹織物でつくられ、衣冠、布袴(ほうこ)、直衣(のうし)などに広く着用された。指貫は八幅(やの)で丈を長くし、裾口(すそぐち)の紐を引き絞って結ぶと広くなり、座礼に適した。普通は足首で縛るが、足を出さないで袋状にして踏んで歩いたりした。武家の指貫は前四幅、後ろ二幅の六幅で、公家の指貫より幅が狭くなっているから、活動しやすく、また袴の腰(紐)は今日の袴のように前後に分かれて紐がつけられるようになった。この指貫形式の袴は起居動作がしやすくできているところから、一般にも用いられ、奴袴(やっこばかま)ともいわれた。庶民の間では前二幅、後ろ二幅の四幅袴の細身のものが用いられた。
 正倉院宝物の袴には袷、単(ひとえ)、襠のあるもの・ないもの、および開股(かいこ)式と閉股(へいこ)式とがある。腰は一腰で脇で結ぶように仕立てられている。この腰の形式は、束帯の大口袴、表袴および女房装束の袴などに伝えられている。襠の形は、正倉院に残っている白麻布の袴の襠は四角である。四角の襠はこれを二つに折って三角形にし、前後の股上に縫い付ける。角襠は束帯の下袴の大口袴、武家の狩衣(かりぎぬ)、直垂(ひたたれ)、大紋(だいもん)、素襖(すおう)、裃(かみしも)の袴に用いられている。束帯の表袴の襠は、長方形の丈長のものを2枚重ね合わせ、後ろは2枚いっしょに縫い付け、前は左右それぞれつけて前を開くように腰をつけ、襠を垂れ下げて襠丈の中央(下方)を2枚重ねてとじる。この襠の形態は表袴だけである。
 平安時代には表袴、指貫は上衣の内に着用したが、武家時代になって、上衣の上から袴を着用する形式が行われるようになる。狩衣は前者と同様に袴を内に着用するが、狩衣系の水干(すいかん)は袴を衣の上から着用する。これを、上(かみ)を下(しも)に着込めるといい、直垂、大紋、素襖、裃のいずれも同様に上を下に着込めて着衣する。水干は平安時代には労働着として、鎌倉時代は幕府に出仕するとき、室町時代には礼服として着用することとなった。狩衣、水干、直垂、大紋の袴の腰は白絹を用いる。素襖、裃の袴の腰は共布を用いる。また武家装束の袴は公家装束の袴と仕立てが異なり、前後に紐が分かれ、活動に便利な小袴が用いられた。小袴は指籠(さしこ)(指袴)といい、指貫を略したものである。小袴の後ろ腰の形を整えるために腰板を芯(しん)に入れた。室町時代末ごろ、直垂の小袴も漸次丈が長めになり、殿中用として裾を引く長袴の風がおこった。
 江戸時代に入ると長袴は武士の礼服となる。武家の公服で直垂の一種である素襖は、背と両袖の前後の5か所に家紋を染め抜き、この上に菊綴(きくとじ)をする。菊綴は各布の縫い合わせのところにつける。長袴は腰の中央と両脇相引(あいびき)のところの3か所に紋をつけ、脇の家紋の上に菊綴をする。後ろ腰は芯に用いていた腰板が表出し、現在の台形の腰板へと移行して形を整え、後ろ腰の紐は左右に分離し、腰板の両端に付菱(つけびし)とともにつけるようになる。
 室町時代に袖のつかない肩衣と袴とが現れ、直垂にかわって素襖が礼服となり、その後素襖にかわって肩衣袴が礼服となる。肩衣袴が礼服化することで、いままで表面から見えなかった小袖が露出するようになる。江戸時代、裃の正装には熨斗目(のしめ)小袖を着用し、その上に麻長裃を着用する。袴の寄襞(よせひだ)は寛永(かんえい)(1624~44)ごろより始まり、正徳(しょうとく)・享保(きょうほう)(1711~36)以降袴の中央にとるようになり、形式が整えられた。(かみ)(しも)とは肩衣と袴のことで、肩衣に長袴を着用すれば長裃といい、肩衣と小袴(半袴)を着用すれば半袴という。半袴が一般化し、肩衣と袴の材質の異なったものを略して着用するようになった。これを継裃(つぎかみしも)という。やがて半袴から袴が分離独立して、小袖の上に着るようになる。この袴を平(ひら)袴(常の袴)という。武家も町人も袴をはくようになるが、襠の低いものは町人仕立てといわれた。初め武士はこの袴をはかなかったが、天明(てんめい)(1781~89)以後はくようになった。しかしこれをはいた場合は、馬に乗れない。寛文(かんぶん)(1661~73)のころ、江戸・芝神明町の松葉屋理右衛門(りえもん)が乗馬用に考案して仕立てた特有の袴は、乗馬に便利であるとの好評を得て武士に用いられた。これは襠を高くつけ、馬上でもすねがあらわにならないようになっており、馬乗袴(うまのりばかま)といわれた。馬乗袴の背の上方には薄板を入れた鞍越(くらごし)をつけるが、これは蝉(せみ)の形をしているところから俗に蝉形ともいう。歩行するときにはく袴は、馬乗袴と平袴の中間で、襠の高さを馬乗袴より低く、平袴より高くした。これを半馬乗袴という。襠の高さによって相引の高さが異なる。襠が高い位置にあるものは相引も高い位置まであり、襠の低い平袴は相引寸法が少ない。馬乗袴、半袴には緞子(どんす)、織文などを用いて袷に仕立て、裾に黒ビロードの縁をつける。そのほか唐桟(とうざん)を用いるものも袷にする。粗末なものは小倉木綿の縦縞(たてじま)を主として用い、これは夏冬とも単である。
 平袴に裾縁をつけて用いるものを野袴という。緞子、錦(にしき)などの袷の野袴は上輩が用い、下輩の者は縞織のものを用いる。幕府御用達の町人が平日出仕のときに羽織と縞の野袴を着る。また士民ともに火事装束をするときは、野袴を着用する。踏込袴は野袴よりやや狭く、裾の縁布の幅も細いものがつけられている。これを裾細(すそぼそ)ともいい、元文(げんぶん)(1736~41)に出てはやったもので武士が着用した。裁着(たっつけ)は伊賀袴、軽衫(かるさん)ともいい、南蛮人渡来により南蛮風の影響を受けてつくられた袴で、膝(ひざ)関節より下は脛巾(はばき)風にして膝下と裾を紐で結んでおり、鹿皮(しかがわ)、木綿、繻子(しゅす)、唐織(からおり)などでつくられた。16世紀、織田信長、豊臣(とよとみ)秀吉当時にも用いられた。
 裁着は江戸時代の初めに武士が旅行するときや、番匠(ばんしょう)、木こり、狩人(かりゅうど)などが用い、また相撲(すもう)の行司も用いた。その後、民間に移行した。[藤本やす]
女子
女子の袴は、古くは貴族社会での服装構成上なくてはならないものであったが、室町時代に小袖、帯を用いるようになってから姿を消していた。明治以後、欧米文化の移入とともに学制が発布され、女子も学校へ通うようになる。明治中期ごろ、女生徒の通学に用いられた男子と同様の襠のある袴が改良されて、はきやすい襠のない袴が用いられるようになった。この袴を男子も平常に用いるようになり、これを襠無(まちなし)袴、また行灯(あんどん)袴ともいう。
 現在、日常着は洋服化されているが、男子の和服の礼装には襠有(まちあり)袴を欠くことができない。七五三の5歳の男児の祝い着の正装としても襠有袴を用いる。女子は学校の卒業式や琴(こと)の演奏などに着用する程度である。特殊な面では、日本独特の技芸の剣道、弓道、能、仕舞、素踊り、また神官の装束、相撲の呼出し、行司などにおいて、それぞれ伝統のある袴が用いられている。[藤本やす]
『後藤守一著『服装史概説』(1943・四海書房) ▽喜田川守貞著『類聚近世風俗志(守貞漫稿)』(1928・文潮書院) ▽喜多村信節著『改訂嬉遊笑覧』(1927・六合館)』

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世界大百科事典内のの言及

【学生服】より

… 女生徒の場合は,和服に表現される貞淑,従順など婦徳への拘泥から,洋服の採用が男子に比して著しく遅れた。1872年文部省が設立した最初の女学校では,男袴()が着用され女子師範学校にも波及したが,83年には〈異様ノ装〉として文部省から禁止され,次いで86年から男生徒に洋装制服が採用されたのと並行して,女子高等師範学校や一部の尋常師範学校で洋服が制服となった。だがこの洋装化は短期間で終わり,90年代前半には和服に復帰し,体操の必要から独特の女袴が開発され,それが20世紀初頭から高等女学校,女子師範等の制服として普及した。…

【服装】より

…同時に広袖(大袖)となるなど,ゆるやかで長大な衣服となる。公家の男性は上着に盤領(あげくび)・広袖形式を,内着に垂領(たりくび)・広袖形式を,公家の女性は上着,内着とも垂領・広袖形式に長袴をそれぞれ貴族の象徴として着装し,その後長い間続ける。新しい階級である中世の武家は,地方的・庶民的性格を備えながらも古代的意識が残り,公家文化を参考とし,礼装として公家の服装を利用し,彼らの労働着であった直垂(ひたたれ)を広袖化して公服とする。…

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