公家服装の一種。正装である束帯に準ずるもの。束帯で着用される表袴(うえのはかま)の代りに指貫(さしぬき)をはく。指貫はもと布(植物性繊維のもの)製で布袴(ふこ)と呼ばれ,そのためこの袴をはいた束帯姿を布袴といった。これはややくだけた姿のため,初め朝廷で危急の場合,側近の者に限って許された。たとえば982年(天元5)11月に内裏焼失のとき,天皇が職曹司(しきのそうじ)に移られるのに,大臣以下は布袴で従ったと《日本紀略》にあり,布袴装束のとき,公卿は野太刀に革紐を用いると《西宮記》にあって,公事以外の私的行事や非常の場合に着装されたことが知られる。布袴装束の構成は冠,袍(ほう),下襲(したがさね),衵(あこめ),単(ひとえ),指貫,下袴,石帯(せきたい),笏(しやく),襪(しとうず)である。袍は位袍(位によって色が定められた)である。《満佐須計装束抄》は〈ほうこといふ事あり,きぬさしぬきうるはしくきて。そのうへにしたがさねきて。うへのきぬにしりつくりて。おびさしてさくをもつなり〉と記す。なお,公卿の日常着である直衣(のうし)に下襲を着て冠をかぶる装束を直衣布袴と称した。これは烏帽子に代えて冠をかぶる冠直衣よりさらに改まった姿である。《源氏物語》鈴虫巻に〈院の御車にみこたてまつり大将左衛門の督藤宰相などおはしけるかぎりみなまゐり給ふ。直衣にてかろらかなる御よそひどもなれば下襲ばかりたてまつりくはへて〉と見える。
執筆者:高田 倭男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
公家(くげ)服装の一種。参朝や儀式、行事に着用される文官の束帯(そくたい)の変化形式で、それに準ずるもの。束帯のときにはく表袴(うえのはかま)と大口(おおぐち)のかわりに指貫(さしぬき)と下袴(したばかま)を用いる。指貫は、元来、布(麻布)でつくられた袴で、布袴(ふこ)といわれ、したがってこの袴をはく束帯姿を布袴(ほうこ)とよんだ。これは束帯より略装であるため、朝廷における火急の場合に側近の者に限って着用を許され、また公卿(くぎょう)の私的な行事に用いられた。『雅亮(まさすけ)装束抄』に「ほうこといふ事あり、きぬさしぬきうるはしくきて、そのうへにしたがさねきて、うへのきぬにしりつくりて、おびさしてさくをもつなり」とある。なお、直衣(のうし)に下襲(したがさね)を着て、冠をかぶる姿を直衣布袴(ほうこ)とよんだ。これは冠直衣より改まった装束である。
[高田倭男]
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…束帯で着用される表袴(うえのはかま)の代りに指貫(さしぬき)をはく。指貫はもと布(植物性繊維のもの)製で布袴(ふこ)と呼ばれ,そのためこの袴をはいた束帯姿を布袴といった。これはややくだけた姿のため,初め朝廷で危急の場合,側近の者に限って許された。…
…一方,庶民の間では,依然として貫頭衣系の衣服の着用が続いたが,律令国家は庶人が仕丁等で朝廷公事に従事するに際しても,〈制服〉として袴を着用することを規定し,奴についても袴等の〈制服〉を支給することが規定されたので,8世紀の半ばには,少なくとも公的次元にかかわる限りにおいては袴の着用が徹底されたらしい。【武田 佐知子】 このように奈良時代から平安時代初期にかけては唐風の服装が流行したが,遣唐使派遣の中止と律令体制の不成功は服装のうえにも反映して,平安中期になると礼服の着用が衰え,朝服が大きく変化して束帯となり,これが礼装として行われ,それを簡略化した布袴(ほうこ)・衣冠が準礼装として用いられた。束帯は奈良時代の朝服が日本化したもので,平安後期に入ると被り物に変化が起こって冠となり,衣も袖が広袖となり,裄(ゆき)や丈が増大し,各部が誇張されたうえにのり付けが行われ,いわゆる強装束(こわしようぞく)となった。…
※「布袴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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