平安中期(10世紀後半)以後,宮中で正装に準じて着用された略式の装束。奈良時代や平安初期の朝廷では朝服を着用していたが(《衣服令》),平安中期になると,朝服から束帯(そくたい)が成立,発展し,これが正装となった。束帯は,冠,袍(ほう),表袴(うえのはかま),大口袴(おおくちのはかま),石帯(せきたい),それに半臂(はんぴ),下襲(したがさね),衵(あこめ),単(ひとえ)などで構成されていた。しかし庭上の立礼のような場合にはこの正装で厳重に威儀を正して動作できたものの,やがて寝殿造の様式が整備され,殿舎の殿上ですわったり,たちあがったり,また身軽な事務的な活動をするようになると,束帯は不便であるため,この束帯から表袴,大口袴を,指貫(さしぬき)の袴,下袴にかえ,石帯を略して腰帯(ようたい)をつけ,半臂,下襲,衵などを省いたものが,衣冠となった。ことに,宮中で宿直するときには,すわったまま軽い睡眠をとるため表袴ではつごうが悪く,石帯が身体をしめつけるので,束帯ではぐあいが悪かった。衣冠が成立するまでには,このような実際的な必要にもとづく事情があった。そのため束帯を昼装束(ひのしようぞく)とよんだのに対して,この衣冠を宿直装束(とのいしようぞく)といった。一方直衣(のうし)ができて,宿直用にも用いられたが,これは平服で正装とはされなかった。衣冠は宿直装束であっても,正装に準じたもので,平服ではなかった。束帯でなければならない厳重な儀式の場合を除いて,簡単な儀式や,日常の事務的な公事(くじ),あるいは祭事などのときには,この衣冠が用いられた。この着用は広く行われ,長い間宮廷服の位置を占めた。 衣冠の重要な要素は,冠と袍とにある。宮廷人として,官職,位階の別を,この冠と袍とで区別した。衣冠という名称もこれによる。束帯では文官は縫腋袍(ほうえきのほう),垂纓(すいえい)の冠,武官は闕腋袍(けつてきのほう),巻纓(けんえい)の冠という別があった。もとより,衣冠の冠,袍には,官職,位階による文様や色目の別はあったが,この束帯の文官と武官の差別は分けられず,一様に文武官とも,縫腋袍と垂纓の冠とされ,臨時特別の場合に限り,冠の纓を巻くことがあったにすぎない。宮廷人としては,この冠と袍だけでも,束帯より衣冠の方が簡単であった。さらに半臂,下襲,衵の類を用いないので,着用も安易であった。単を用い,下に衣(きぬ)を着る,単衣冠(ひとえいかん)というものも別に区別されるようにもなって,単すら着用しない簡単な衣冠が後には用いられた。さらに,衣冠の袍にも,特別の衣冠としての袍を形式化し,後身(うしろみ)の両脇に小紐を付加したり,角袋(かくぷくろ)を外部に出したりして,着用の便をはかるようになった。装束を着用する衣紋(えもん)の技術が進んでも,衣冠は束帯よりも簡単で広く一般に正装なみに用いられた。それに,束帯では笏(しやく)を持つが,衣冠の場合には檜扇(ひおうぎ),後には細い骨に片面だけ紙をはりつけた蝙蝠(かわほり)という扇や,今日の末広の類をも持つことになった。つまり,正装の束帯の最も重要な要素である冠と袍との中心を固守しながら,その他の諸部分をできるだけ実生活に適合するように順次に変化させたものが衣冠で,束帯の正装としての伝統を保持する努力に並行して,この正装を時代の実情に即応せしめて進展したところに衣冠の歴史性が認められる。
→束帯
執筆者:猪熊 兼繁
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
公家(くげ)男子の服装の一種。天皇は用いないが、平安時代以来の準正装で、束帯の略装として用いられた。束帯が昼(ひ)の装束といわれるのに対して、衣冠は宿直(とのい)装束ともいわれる。鎌倉時代になると、宮中出仕のときにも用いられるようになった。その構成は束帯より半臂(はんぴ)、下襲(したがさね)、石帯(せきたい)を省き、表袴(うえのはかま)のかわりに指貫(さしぬき)をはく形式で、冠(かんむり)、袍(ほう)、袙(あこめ)(略すこともある)、単(ひとえ)、指貫、沓(くつ)である。束帯や布袴の袍と同様に位袍であるが、通常は帯剣することがなく、闕腋(けってき)の袍は用いられない。また着装に石帯を用いないため、それにかわる絹の帯で腰を締めることにより、その衣文(えもん)や着装姿は束帯と異なる。なお、衣冠は朝服の変化形式の装束であるため、かならず冠をかぶる。
[高田倭男]
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広義には,衣服と冠をつけた服装の総称。狭義には朝服としての束帯(そくたい)の略装。束帯を昼装束(ひのしょうぞく)というのに対し,衣冠は宿衣(とのいぎぬ)とよばれ,平安中期までは遠行や院参に用い,参内には通常使用されなかった。束帯のうち半臂(はんぴ)・衵(あこめ)・下襲(したがさね)・石帯(せきたい)を省略し,表袴(うえのはかま)も指貫(さしぬき)にかえる。袍は文武両官とも縫腋袍(ほうえきのほう)を使用。平安時代末の強装束(こわしょうぞく)の普及以来,束帯が儀礼用となり,衣冠が日常参内用に格上げされた。
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