携帯食(読み)けいたいしょく

日本大百科全書(ニッポニカ) 「携帯食」の意味・わかりやすい解説

携帯食
けいたいしょく

日常の食事の場を離れて、行動する際に携える食物の総称で、各種のものがある。保存性がよく、携帯に便利な形態のものが多い。もともとは重量が軽いことも条件であったが、運搬に便利なもの、たとえば自動車、船といったものではかならずしも重量は問題とならない。缶詰レトルト食品などその例である。

 日本での携帯食の歴史は弥生(やよい)時代にみられる。当時の遺跡から焼き米が出土しているが、それは一種の携帯食または保存食であったとみられている。平安時代には籾(もみ)のまま炒(い)って殻をとった糄米(やきごめ)、糯米(もちごめ)、アワキビなどを蒸して天日に干した糒(ほしいい)などがあった。旅行に持っていくときは餉(かれい)とよんだ。塩、ワカメを添え、湯水を入れてふやかし、柔らかくして食べた。目刺しのような単純な干物も利用された。餅(もち)も古くから携帯食として利用された。携帯に便利な飯の意味で携帯飯(もちいい)が詰まって「もち」となったともいわれる。一方、乾物には、楚割(すわやり)、腊(きたい)があったとされている。楚割はサケなどの魚肉を薄く切って乾かしたもの、腊は鳥肉を丸ごとそのまま乾かしたもので、削って食べた。鎌倉時代には、焼いた握り飯を竹の皮や木の葉に包み、袋に入れて携帯した。これは屯食(とんじき)とよばれた。この時代、梅干し、焼きみそ、塩、ごま、かつお節麦こがし、餅、乾魚、塩魚なども利用された。兵食としては、鹿児島のあくまきのようなものがある。これは竹皮に米を包み込み、灰汁(あく)の中で十分に煮たもので、数か月も保存ができる。これに似たものは吉野(奈良県)にもある。また、熊本の朝鮮飴(あめ)、新潟のちまきといったようなものも携帯食の一つである。いずれも保存性、携帯の便利性に優れている。江戸時代には、今日のような弁当が現れた。また、花見、船遊び、別荘(しもやしき)行などの外行きには、三重、五重の重箱に季節の味覚を盛り込んだ携帯食が流行した。明治以降になると、軍隊の携行食として堅麺包(パン)、乾麺包(かんめんぼう)(乾パンのこと。軍隊ではパンのことを麺包とよんだ)が用いられた。ヨーロッパではナポレオンの時代に缶詰が発明され、携帯食の一つの柱となっている。これは日本においても明治以降、食品工業の発達に伴い、各種のものが製造され、利用されてきた。もともとは兵食的要素の強い携帯食であったが、しだいに行楽などにも利用され、現在では、登山、キャンプなどのレジャーから、探検、調査、宇宙飛行などの携帯食に、利用の範囲が拡大された。その後レトルト食品、真空凍結乾燥食品など食品加工技術の進歩により、栄養と味を損なわない質のよい携帯食ができ、栄養素の強化なども実現してその効用が高まっている。インスタントラーメン、インスタントライスといったデンプン質のものだけでなく、インスタントコーヒー、紅茶などの嗜好(しこう)品まで、質、量ともに豊富となった。

[河野友美]


出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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