政談(読み)セイダン

デジタル大辞泉 「政談」の意味・読み・例文・類語

せい‐だん【政談】

そのときの政治政局についての議論演説。「政談演説会」
政治や裁判などを題材にした講談。「大岡政談
[補説]書名別項。→政談

せいだん【政談】[書名]

江戸中期の政治論。4巻。荻生徂徠おぎゅうそらい著。享保年間(1716~1736)成立幕政危機について幕府要人の諮問に答える形式で、政治・経済社会の問題点と対策を説いたもの。

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精選版 日本国語大辞典 「政談」の意味・読み・例文・類語

せい‐だん【政談】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙
    1. その時の政治に関する演説や議論。
      1. [初出の実例]「純精の理論に非ずして過半は政談を交へ」(出典:文明論之概略(1875)〈福沢諭吉〉二)
    2. 政治、裁判などを題材とする講談。「大岡政談
  2. [ 2 ] 江戸中期の政治論。四巻。荻生徂徠著。享保一二年(一七二七)頃成立。幕政の危機に際し、その問題点と対策を論じ、参勤交代の廃止、武士と町人・百姓との分限に即した諸制度の確立、銭貨の大量鋳造、人材の登用などを幕府要人の諮問に答える形式で説く。将軍徳川吉宗に呈上したものと伝える。

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改訂新版 世界大百科事典 「政談」の意味・わかりやすい解説

政談 (せいだん)

江戸幕府の支配体制に弛緩を生ぜしめている根本的原因を指摘し,当面の対策を論じて,8代将軍徳川吉宗に呈した意見書荻生徂徠著。4巻。成立年代には諸説あるが,1727年(享保12)4月1日,徂徠がとくに将軍吉宗に謁見を許された日の前後と考えるのが妥当であろう。ただし原稿はこのとき一気に書き下ろしたものではなく,かねて書き留めておいた断片的事項を,このとき集成したと思われる部分も少なくない。徂徠の高弟服部南郭の《物夫子著述書目記》(1753成立)に記載していないことから偽書説もあるが,南郭すら目にする機会のなかったほど秘密に取り扱われていたと解釈されている。

 徂徠は当時の体制の根本的欠陥を〈旅宿の境界〉,すなわち兵農分離して武士が都市に居住し,貨幣経済依存の消費生活を余儀なくされていることと,〈制度〉のないこと,つまり身分貴賤の差別が確立していないことであると指摘する。〈旅宿の境界〉の解消と〈制度〉の確立とは問題の本質的解決のため,互いに不可分の関係をもっている。巻一では武士土着論を展開するが,これは兵農未分離への単なる復古ではなく,武士の計画的農村配置である。これと,戸籍法確立による全国民を本籍地に束縛する制度とによって,国家統治の基礎が固められる。巻二では身分制度の確立によって貴賤上下の差別に応じた経済生活を成立させるとともに,〈旅宿〉の解消により貨幣経済への依存からの脱却が可能となる。巻三ではかかる改革を遂行すべき役人に関して論じ,武家独自の官位・職制の樹立,役人の選任などの課題や現状の欠陥について見解を述べる。巻四では儀礼・行刑・民政・教学など多方面にわたって当面の問題点を評論した。徂徠は自然の趨勢の中に成立してきた風俗や慣例を否定し,これを人為的,計画的に改革することが聖人の道の実践であることを強調し,時の将軍吉宗に期待して本書を執筆した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「政談」の意味・わかりやすい解説

政談
せいだん

荻生徂徠(おぎゅうそらい)の著書。4巻。江戸幕府の8代将軍徳川吉宗(よしむね)の諮問に応じ、幕府政治の改革すべき点についての徂徠の意見を述べたもので、著述の時期は不明であるが、1725年(享保10)ないし27年ごろと推定される。内容が政治上の機密に関係しているため、徂徠は門人にも見せず、自筆のまま上呈する旨を末尾に記しているほどで、公表されることはなかったが、18世紀後半になると、写本がつくられて、しだいに世間に流布し、幕府倒壊後の1868年(明治1)には京都で出版されている。このように広く読まれたのは、幕府政治のもとでの社会の実情と、その問題点、ならびにその解決策についての、的確な認識と優れた見識が示されているためで、現在では江戸時代史研究の重要な史料の一つとされている。徂徠の改革案の主眼は、戸籍を整備して、武士や庶民を土地に定着させること(土着論)と、身分に応じた生活水準の規制(制度論)とに置かれており、一見すると保守的であるが、そのなかには日本の社会の本質についての洞察が含まれており、その点で近代の日本を準備する役割を果たしたとみられる。

[尾藤正英]

『辻達也・丸山真男他校注『日本思想大系 36 荻生徂徠』(1973・岩波書店)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「政談」の解説

政談
せいだん

8代将軍徳川吉宗の諮問に応じ荻生徂徠(おぎゅうそらい)の示した幕政改革案。4巻。1726年(享保11)頃の成立。武士の城下町集中(旅宿の境界),貨幣経済の浸透と物価上昇にともなう上下の困窮,商業発達による大量人口の江戸流入,伝統的人間関係の解体(面々構),犯罪の多発,武家の風俗悪化と統治能力の低下などの状況に対し,和漢の古法,聖人の道を基準として改革を構想。巻1では旅券・戸籍・武士土着などの組合せによる人間の流動化の抑止を考案する。巻2では財政安定策として,身分に応じた差別的制度の制定や各地からの土産品の貢納制など,巻3では政府組織の合理化や大胆な人材登用策などを提言。徂徠のトータルな現実認識と深い古典的素養の結合を示す。「日本思想大系」所収。

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百科事典マイペディア 「政談」の意味・わかりやすい解説

政談【せいだん】

荻生徂徠の著。8代将軍徳川吉宗に呈した幕政に対する意見書。4巻。幕府要人の諮問に応ずる形式で記され,元禄〜享保期(1688年―1736年)の幕藩体制内の具体的諸問題に即して,経済論・政治論を展開,武士の計画的農村配置,身分制度の確立などを説いている。成立は徂徠が吉宗に謁見を許された1727年前後と考えられる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「政談」の解説

政談
せいだん

江戸中期,荻生徂徠 (おぎゆうそらい) の著した政治・経済論
享保年間(1716〜36)の成立。4巻。8代将軍徳川吉宗の諮問にこたえた意見書で,幕政改革のため貨幣経済の発達抑制・武士の帰農・参勤交代の弊害などを説いた。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「政談」の意味・わかりやすい解説

政談
せいだん

荻生徂徠の著。4巻。享保年間 (1716~36) に成稿。江戸幕府要人の諮問に答える形式で述べられた幕政改革についての意見書で,政治論,経済論を展開している。

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世界大百科事典(旧版)内の政談の言及

【政論】より

…政論の担い手は欧米新知識を吸収した知識人,彼らの結成した政党・政社・会派であり,その表明の機関が新聞であった。政治思想普及の方法として新聞とならんで演説が行われたが,演説をとおして語ることを含みとしている〈政談〉に対し,政論は印刷物をとおして論ずることに力点が置かれていた。したがって,一方の政談演説に対し,政論新聞が成立した。…

【徂徠学】より

…徂徠の真意は,道を行うということは,道徳の説教をすることではなく,先王がかつてそうしたように,天下を安んずるうえで有効な制度を定めることである,と論ずるところにある。この主張に基づいて,徂徠はみずからの制度改革論を展開した《政談》を著して将軍吉宗に献上した。徂徠学のもう一つの特徴である人間性への寛容という面では,徂徠は〈気質不変化説〉を唱えた。…

※「政談」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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