敵は本能寺にあり(読み)てきはほんのうじにあり

精選版 日本国語大辞典 「敵は本能寺にあり」の意味・読み・例文・類語

てき【敵】 は 本能寺(ほんのうじ)にあり

(天正一〇年(一五八二)、明智光秀備中国の毛利勢を攻めると称して出陣し、途中にわかに進路を変え、「わが敵は本能寺にあり」といって、京都本能寺に宿泊中の織田信長を襲ったところから) 本当の目的は、表面にかかげたものではなくて、実は別のところにあるという意。人々の目をあざむいて、他の目的をねらうこと。敵本(てきほん)主義
※売花翁(1893)〈斎藤緑雨〉「今からでもと不取敢弟子入したるも所謂敵(テキ)は本能寺(ホンノウジ)に在(ア)る方なり」

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デジタル大辞泉 「敵は本能寺にあり」の意味・読み・例文・類語

てき本能寺ほんのうじにあり

《天正10年(1582)明智光秀あけちみつひで備中の毛利勢を攻めると見せかけて出陣し、京都本能寺織田信長を襲ったところから》本当の目的・目標は別にあるということ。

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故事成語を知る辞典 「敵は本能寺にあり」の解説

敵は本能寺にあり

真の狙いは、表面に掲げたものとは別にあることのたとえ。また、もっともらしい口実を設けて人の目をあざむき、ひそかに本当の目的を実現しようとすることのたとえ。

[使用例] 世間じゃ、敵は本能寺に在り、だと言ってるよ〈略〉亭主に惚れたというだけじゃ、あそこまでやれまいと言ってるんだよ[三島由紀夫*宴のあと|1960]

[使用例] 白状すれば、フランス語などはどうでもいい方で、敵は本能寺、真の狙いはフランス語の授業の間に出されるビスケット紅茶のおやつの方にあった[井上ひさし*モッキンポット師の後始末|1972]

[由来] 「日本外史―徳川氏前記・織田氏下」に出てくる、戦国時代の武将、明智光秀のことば。天正一〇年(一五八二)、織田信長に仕えていた明智光秀は、備中(現在の岡山県)で戦う羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)の援軍として出陣するよう、命じられました。光秀は、命令通り出発したものの、途中で突然、「が敵は本能寺に在り」と述べて進路を変更し、京都の本能寺に宿泊中だった主君、信長を急襲。不意を突かれた信長は、天下統一を目前にして命を落とすことになりました。いわゆる「本能寺の変」です。

[解説] ❶この後すぐ、光秀は、悲報を受けて急いで備中から引き返してきた秀吉と京都の南西の山崎という場所で戦い、敗死。秀吉が天下人への階段を駆け上がっていくことになります。その間の歴史からは、「天王山という故事成語も生まれています。❷本来は「裏切り」を指す意味の重たいことばですが、現在では、軽い目的の場合も含めて、幅広く使われます。また、本当の目的を隠して行動することをいう「敵本主義」ということばもあります。

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ことわざを知る辞典 「敵は本能寺にあり」の解説

敵は本能寺にあり

真の狙いは、表面にかかげたものとは別のところにある。また、もっともらしい口実をもうけて人の目をあざむき、ひそかに本当の目的を実現しようと行動することのたとえ。

[使用例] 白状すれば、フランス語などはどうでもいい方で、敵は本能寺、真の狙いはフランス語の授業の間に出されるビスケットと紅茶のおやつの方にあった[井上ひさし*モッキンポット師の後始末|1972]

[解説] 天正一〇年(1582)、明智光秀が備中の毛利勢を攻めると称して出陣し、京都本能寺に滞在中の織田信長を急襲するため、途中でにわかに進路を変えた故事に由来しています。その時に光秀が発したことばとして伝えられる「わが敵は本能寺にあり」は、頼山陽の「日本外史」によって幕末から明治期に広く知られるようになりました。

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