中国,南宋初期の武将。字は鵬挙。湯陰(河南省湯陰県)の農家に生まれ,20歳で義勇軍に参加し,戦功を重ねて,27歳の時には独立して〈岳家軍〉を率いた。1134年(紹興4),鄂州(がくしゆう)(武漢)を根拠地とする方面軍の将軍となり,翌年,湖南の鍾相・楊么(ようよう)の乱を鎮圧し,36年には襄陽に進駐し湖北・河南の金軍と戦い,南進を阻止した。37年には宣撫使となり,最高軍事指導者の一人となった。彼の軍隊は厳しい規律と盛んな戦闘力で知られた。金軍に圧倒されて江南に逃れた南宋軍の主要な対金防衛線は長江以北・淮河(わいが)流域にあり,別の一つは陝西・四川方面であった。この両戦線をつなぐ中間地帯の確保は南宋朝の死活問題であった。この瀬戸際にあって反乱と外圧から湖北・湖南を防衛し揺籃期南宋朝の東西分断の危機を救った最大の功労者は岳飛であった。1140-41年,皇帝の高宗,宰相の秦檜らは軍閥・家軍の中央直轄軍への改編と金との講和条約締結を最高の政治課題とした。そのため最強軍を保持し,失地回復を求めて金との戦争継続を強く主張する岳飛との間に鋭い対立が生じた。41年2月,高宗が作戦大綱を定めた柘皋(しやこう)(安徽省)の会戦に岳飛はきわめて非協力であった。高宗らは不信感をつのらせて粛清を決意した。4月に岳飛を含む3将軍を大臣職に任命し,実戦部隊と切り離し,金との講和条約交渉をすすめた。こうして軍事権の回収にも,講和条約にも反対であった岳飛が謀反の嫌疑で逮捕,毒殺されたのは同年12月,39歳の若さであった。秦檜が世を去り,ふたたび金との緊張が高まるなかで,岳飛の名誉回復が図られ,78年(淳熙5),武穆(ぶぼく)と諡(おくりな)され,1204年(嘉泰4)には鄂王に追封された。南宋末の講談では中興の名将の一人として語られ,モンゴル族支配下の元代では漢人から救国の英雄としてもてはやされた。明・清時代の講談,演劇,小説では真心を尽くして国家に奉仕する人物の典型として描かれている。近年では反帝国主義,民族主義の立場からあらためて評価され,愛国の情をうたった彼の詞,〈満江紅〉は満州事変の後,流行歌にもなった。杭州西湖畔の廟墓(岳王廟)は現在,〈国家重点文物保護単位〉に指定されている。岳飛は書家としても有名で,当時の武将の多くが文盲であったのに対し,顔真卿に学んだといわれる行草書は雄渾峻抜で,後世,愛好されつづけた。
執筆者:寺地 遵
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中国、南宋(なんそう)建国期の武将。字(あざな)は鵬挙(ほうきょ)。相州湯陰(とういん)(河南省)の人。貧しい農家に生まれる。北宋末、金(きん)軍の侵入に対して各地に義勇軍がおこったが、岳飛は1122年にこれに応募し、たび重なる金との戦いや国内の農民反乱の平定に軍功をあげて、34年に節度使(せつどし)に任ぜられ、異例の出世を遂げた。36年、襄陽(じょうよう)(湖北省)に在駐してのち、宣撫使(せんぶし)に昇格すると、本格的に管内の軍事、行政、財政の三権を掌握して、南宋政府に対抗できるほどの一大軍閥に成長した。岳飛、韓世忠(かんせいちゅう)ら軍閥諸勢力は金との抗戦を主張したが、41年、和平論を主導する宰相秦檜(しんかい)は、軍閥間の対立を利用して、その実権を奪い、文官による中央集権政治の回復を図った。とくに諸将軍中もっとも強硬であった岳飛は、謀反を口実に獄死させられた。しかし死後、その無実はそそがれた。岳飛は当時の武将には珍しく学問があり、また書家としても一流であった。後世、岳飛廟(びょう)に祀(まつ)られ救国の英雄として親しまれている。
[伊藤宏明]
『外山軍治著『岳飛と秦檜』(1939・冨山房)』
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1103~41
南宋初めの武将。相州湯陰(河南省湯陰県)の人。農民の子に生まれ,北宋末以来の宋・金の戦乱で武功を立て,湖北一帯を領する軍閥となったが,和議派の宰相秦檜(しんかい)の手で獄死した。後世民族の英雄として崇敬されている。
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…朱仙鎮の名は11世紀半ばにみられ,戦国時代の人朱亥の居仙人荘に由来する。1140年(紹興10)金と戦った岳飛が,旧都開封を指呼に望むここから軍を返したことで有名だが,実際は岳飛ははるか南の偃城(えんじよう)から撤退している。元代賈魯河(かろが)の水運の利用とともに商業集落として著しく発達し,清代中期には,漢口,仏山,景徳と並ぶ中国四大鎮の一つとなった。…
※「岳飛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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