新温泉(読み)しんおんせん

改訂新版 世界大百科事典 「新温泉」の意味・わかりやすい解説

新温泉[町] (しんおんせん)

兵庫県北西端,美方(みかた)郡の町。2005年10月温泉町と浜坂(はまさか)町が合体して成立した。人口1万6004(2010)。

新温泉町中南部の旧町。鳥取県に接し,美方郡所属。人口7379(2000)。南部の扇ノ山から発する岸田川の上・中流域を占め,標高1000mをこえる山地に囲まれる。岸田川支流の春来川沿いの中心地湯にある湯村温泉は,平安時代の発見といわれる山陰東部の名湯で,春来川沿いの源泉は荒湯と呼ばれ,95~98℃の熱湯が多量に湧出し,煮炊きや洗濯に使われている。旅館や民宿,保養所が多い。国道9号線の整備もあってスキー場や県立但馬牧場公園など,南部の高原地域を訪れる人も増えている。主産業は農業であるが,農用地のほとんどは山間棚田で,零細な経営が多い。但馬牛や高冷地野菜,梨などの生産団地化も進められている。

新温泉町北部の旧町。美方郡所属。人口1万1222(2000)。日本海に面し,西は鳥取県と接する。岸田川とその支流の沿岸耕地が分布するほかは,山地が海に迫っている。中心集落の浜坂は古くから京都と山陰を結ぶ交通の要衝として,また西廻廻船の寄航地として栄えた。農漁業は米の生産調整や漁業資源の減少などで衰退傾向にあるが,園芸農業の導入,漁場整備などで回復が図られている。諸寄(もろよせ)や居組(いぐみ)は沿岸漁業の基地で,マツバガニ漁獲が多い。伝統的な縫針製造の技術をもとに,縫針のほかミシン針,レコード針などの製針工場が多くあったが,現在は製品転換が進んでいる。JR山陰本線浜坂駅の東2kmに二日市温泉,その南1kmに七釜温泉があって,合わせて浜坂温泉(セッコウ泉,42~49℃)と呼ばれる。海岸美に恵まれ,山陰海岸国立公園の一部をなす浜坂海中公園や但馬御火浦(たじまみほのうら)(名・天)などがある。
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江戸時代には但馬国二方(ふたかた)郡の在郷町,西廻廻船の寄航地として発展した。1760年(宝暦10)の〈浜坂村明細帳〉をみると,村高526石余,戸数465戸,うち高持百姓110戸,水呑百姓355戸,人数1783人,牛26疋。水呑百姓の全戸数に対する比率は高く,76.3%となっている。この時期の分業として,漁業150人,大工18人,船大工14人,鍛冶屋7人,紺屋7人をあげている。その後,縫針業と針金業が導入された。口碑によれば,天保(1830-44)ごろ町医者市原惣兵衛が長崎へ修業に出たとき,嘉五郎,武兵衛の2人を伴って帰り,縫針の生産をはじめたといわれている。1872年(明治5)の壬申戸籍によって15歳以上60歳以下の有業人口の構成をみると,農266人,工961人,商412人,漁業176人,雑業83人となっている。また,81年の産業統計では針生産額4000万本,代価2万4000円で,専業戸数60戸,兼業220戸となっている。なお,1858年(安政5)5月には,米価の高騰を契機にした激しい打毀(うちこわし)が起こっている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報