1871年(明治4)4月4日の太政官布告戸籍法によって編製された戸籍。同法は,全国の府・藩・県に対し,72年12月1日以後戸籍の検査,編製を命じたが,その準備についてはただちに着手すべきものとした。ただし,人が多く集まる東京,京都,大阪の3府および開港場においては,取締りを早くするため,同法のうち送籍・入籍,旅行,寄留者の鑑札制度(1871年7月22日廃止),寄留表の作成について,71年6月29日までに実施すべきものとした。しかし,71年7月14日に廃藩置県が行われたので,戸籍編製は,新しい府県制度の下で実施され,72年中に一応完成した。この戸籍は,その後これを改製したものを含め,明治5年の干支をとって壬申戸籍と呼ばれている。戸籍の検査,編製の実施機関は,全国のすべての地方を区に分け,これにおかれた戸長である。同法ははじめ戸長を戸籍事務のための機関として構想したが,新しい府県制度の下では,地方制度の末端機関として位置づけられた。戸長は,法が定める戸籍書式に従って区内の戸籍を集め,戸籍原本は手もとにとどめるが,その清書2通と区単位の戸籍諸表(戸籍表,職分表,寄留表)とを府県庁に差し出す。府県庁では戸籍専任の吏員が管内全部の戸籍諸表を作り,太政官へ差し出すものとされた。戸籍は全国民を漏れなく一元的に把握するため,華士族平民の別なく現実の戸(屋敷)単位に記載するものとされた。もっとも,法ははじめ〈えた・非人〉などを差別する規定を置いていたが,71年8月28日に〈えた・非人〉の称が廃止されたのでこの規定は効力を失った。戸籍の記載の順序は,屋敷番号をもって表示される住所,族籍(平民の場合は農・工・商の別),戸の構成員,氏神・檀寺であり,各人には戸主との続柄,身分事項,年齢が付記された。構成員の記載順序は,戸主,直系尊属,戸主の配偶者,子,子の妻,直系卑属,傍系親族,付籍であり,この順序自体が尊卑の別と直系優先の倫理秩序を示した。
以上のような戸籍制度は,国家が直接に全国民を把握するものであり,形式的にではあれ身分階層制を克服している点に画期的な意義を有する。また戸籍は,全国的な人口,職業統計の基礎となるとともに,警察,徴兵,徴税,教育,衛生等行政諸制度の基礎として,さらに国民の親族的身分関係,およびそれに付随する財産関係の規制手段として重要な役割を果たした。その親族的身分関係の公証制度としての機能は,はじめは副次的であったが,しだいにその比重を増大させた。戸籍の運用については,法の不備を補うため,中央・地方の関係法令および中央政府と地方官の間の伺・指令が重要な役割を果たした。壬申戸籍は,1886年の内務省の戸籍法令により全面的に改製された。なお壬申戸籍の閲覧は,1968年以降全面的に禁止されている。それは戸籍編製以前に,〈えた・非人〉の称が廃止され,戸籍上これを差別する戸籍法の規定が失効したにもかかわらず,差別的記載をもつ戸籍が存在し,悪用された事例が見られたからである。
→戸籍
執筆者:利谷 信義
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作成された年の干支(えと)(壬申(みずのえさる))によって命名された戸籍で、二つある。
(1)902年(延喜2)作成の戸籍。阿波(あわ)国(徳島県)の一部のものが現存しているが、女子、老人が異常に多く、律令(りつりょう)制の乱れに伴う作為の跡が著しい。
(2)1871年(明治4)公布の戸籍法により、翌年明治政府が作成した最初の全国的な戸籍。江戸時代の人別帳が身分別であったのに対し、国民を居住地において登録することとした。すなわち、華族、士族、平民の別なく、戸を単位として、戸主を筆頭とし、家族を直系尊属、戸主の配偶者、直系卑属、傍系親の順に記載。国が全国民を直接掌握し、徴兵、徴税など行政の基礎資料にしようとしたものである。戸籍事務は、民部省、大蔵省を経て内務省所管となり、86年の内務省令(出生死去出入寄留者届方、戸籍取扱手続)などによって制度的に整備され、明治新民法の「家」制度の基盤となった。
[時野谷勝]
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1872年(明治5)に編成された最初の全国的統一戸籍。政府は71年4月4日の太政官布告をもって戸籍法を公布,緊急実施を要する三都府・各開港場を除いた一般の府藩県に,翌年2月1日から100日の間に戸籍編成を命じた。実際の完了は73年3月だが,72年の干支にちなみ壬申戸籍という。戸 籍編成の単位として「四五丁若(も)シクハ七八村ヲ組合」せて区を設定し,戸籍吏として各区に戸長・副戸長を置き,区内居住民を「臣民一般」として戸すなわち家ごとに把握・登録させた。この点,族属別編成方式をとる以前の戸籍と異なる。しかし旧身分に関する差別的記載もみられ,1968年(昭和43)閲覧禁止措置がとられた。
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…家族制度という言葉は種々の意味に用いられるが,大別すれば,一つは,社会的に存在する家族の共同生活を支配する秩序であり,他の一つは,家族の共同生活を支配する法的秩序一般ということができる。社会的に存在する家族秩序は,個々に異なるニュアンスを有するとしても,その社会の主要な生産のしかたとそれに規定される社会秩序の一つとして,いくつかの類型に分けられる。国家は,それらのうち,統治上必要と考えるものを選び,ときには,他国の法令に規定された家族秩序をも参考にしながら国家統治上,有効な一定の家族秩序をつくり上げ,それを法として,人々に強制する。…
…その準備はただちに着手すべきものとされたが,実際の編製は,廃藩置県後の府県の作業による。このとき編製された戸籍を,この年の干支をとって〈壬申戸籍〉と呼んでいる。なお戸籍制度の確立により,1871年10月3日に従来の宗門人別改帳の制度が廃止された。…
…家康に仮託されて1613年(慶長18)の年記を付された〈宗門檀那請合之掟〉は,全国各地の寺院に写しが残されている有名なものであるが,それには檀那役(布施や募財)に応じない者,先祖の年忌法事を勤めない者,寺参りをしない者などはキリシタンとみなすなどの文言がみられ,寺檀関係の実態をよく示している。江戸期を通じて機能を発揮していた寺檀制度は,1871年(明治4)に戸籍制度が発足しても,翌年のいわゆる壬申戸籍には檀那寺が記載されているようになお残存し,73年のキリシタン禁止高札の撤去によってようやく制度として廃止された。しかし,その基礎となった寺檀関係は,明治民法による家制度の採用とあいまって,仏教各宗教団の基礎構造をなし,戦後の家制度廃止後においても,別の意味で存続をつづけ,現代に及んでいる。…
…遊女の源氏名などは,さまざまな《吉原細見》などから多数知ることができる。
[近代]
1872年における壬申(じんしん)戸籍の制定によって日本人は苗字(氏名,家名または適宜に案出した名であれ)を一つ,名(諱,通称,幼名または適宜に案出した名であれ)を一つつけるよう定められた。伊藤俊輔(家名と通称)こと越智宿禰博文(氏名,姓(かばね),諱)は,苗字を伊藤,名を博文と登記したし,大隈八太郎(家名と通称)こと菅原朝臣重信は,登記名を大隈重信と定めた。…
※「壬申戸籍」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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