明治期から第2次大戦終了時まで存続した日本の新聞および雑誌取締りに関する法律。1909年5月6日に公布(法律第41号)され,45年9月27日付GHQ(連合国総司令部)覚書〈新聞及び言論の自由への追加措置〉によって執行を停止され,49年5月24日公式に廃止された(法律第95号)。この法律は1897年に改正された新聞紙条例の改正法で,1909年3月,第25帝国議会に議員立法の形で新聞紙条例中一部改正法律案として上程されたが,審議の過程で提出原案からははるかに後退した規制色の強い内容の法案に変貌し,名称も新聞紙条例から新聞紙法に改められた。以来,第2次大戦の終結まで明治・大正・昭和の3代にわたって暴威をふるった近代日本の最も中核的な言論統制法規として存続した。全45ヵ条から成る。新聞雑誌の発行に届出主義をとっている(4条)のは旧条例と同じであるが,編集に関する法的責任を届出編集人のほか,実際編集担当者ならびに当該記事の筆者に拡大し(9条),時事に関する記事を扱う新聞雑誌の発行保証金を増額し(12条),さらに内務大臣が〈安寧秩序ヲ紊(みだ)シ又ハ風俗ヲ害スル〉記事と認めた場合,その新聞雑誌の発売頒布を禁止し,必要ならば差し押さえることもできるといういわゆる〈発禁〉に関する行政処分権を新設(23条)したのは,旧条例になかった新聞紙法の新しい特徴である。とくに内務大臣の発禁処分権はきわめて恣意的な処分権で,それだけ政府にとって好都合な規制装置であり,逆に新聞雑誌にとっては恐れられた処分権であった。また,内務大臣はこの処分権規定を理由に,処分による新聞雑誌の損害を軽減するための便宜的な措置として,事前に特定の〈安寧秩序紊乱(びんらん)〉〈風俗壊乱〉記事の掲載差止め命令を出したが,これは法的にまったく根拠のない命令であった。この新聞紙法の改正の動きとしては,第28,第41~46,第50の各帝国議会に議員提出による規制緩和を求めた改正案が上程されたが,いずれも不成立に終わった。他方,政府も言論規制の合理化を企図し新聞紙法と出版法を一本化した出版物法案を第51,第52帝国議会に再度にわたり提出したが,ともに審議未了に終わっている。しかし,太平洋戦争開始直後,1941年12月19日公布の〈言論,出版,集会,結社等臨時取締法〉によって新聞紙法による新聞雑誌の発行に許可制がしかれ,また行政処分権についても,発売頒布禁止処分に加えて発行停止処分を科することができるよう改められた。
執筆者:内川 芳美
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1909年(明治42)5月6日に公布された第二次世界大戦前の日本の基本的な言論統制法。新聞のほか、時事に関する事項を掲載する雑誌にもこの新聞紙法が適用された。全文45条と付則からなり、時事を報ずる新聞の保証金納付義務(12条)、予審内容の掲載禁止(19条)、犯罪を煽動(せんどう)もしくは曲庇(きょくひ)する記事の禁止(21条)、安寧秩序を紊(みだ)しまたは風俗を害すると認むる新聞の発売・頒布の禁止(23条)と発行人・編集人の処罰(41条)、陸軍・海軍・外務各大臣の軍事・外交に関する事項の掲載禁止、記事制限権(27条)などが規定され、違反には重い刑罰が科せられることになっていた。
そもそもこの新聞紙法は、新聞界出身の議員が、予審記事掲載禁止を規定した新聞紙条例改正案を衆議院に提出したのに対し、反体制的言論の取締り強化をねらっていた政府が、議員提出法案を逆手にとって修正したものである。当初の予審記事掲載禁止は削除されず、発行保証金は倍額に引き上げられ、1897年(明治30)の改正で廃止された内務大臣の発売・頒布禁止権、差押え権を復活、編集人の責任規定を拡大するという改悪案になって成立した。以後、大正・昭和期を通じ、言論界から改正の運動や提案が数多く出されたが成立せず、逆に言論統制の動きが出てくると、政府は出版法との一元化を図ろうとしたが、実現しないまま敗戦を迎え、1945年(昭和20)9月29日、GHQ(連合国最高司令部)の指令により失効(法の廃止は49年5月24日)した。
[春原昭彦]
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1909年(明治42)5月に公布された新聞取締り法規。それまでの新聞紙条例と比べて裁判事項の報道制限は若干緩和されたが,1897年の新聞紙条例改正で廃止された内務大臣の行政権限による発売頒布禁止・差し押えが復活し,発行保証金が増額されるなど,かえって取締りは強化された。その後,議会などで新聞紙法改正の動きがあったが,第2次大戦の敗戦まで一度も改変されることなく,言論報道取締りの役割をはたした。敗戦後,GHQが1945年(昭和20)9月27日付で29日に発した「新聞及び言論の自由に対する追加措置に関する覚書」で事実上失効し,正式には49年5月に廃止された。
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…つまり新聞紙newspaperのことである。1909年5月公布の新聞紙法(1949年5月廃止)第1条は〈本法ニ於テ新聞紙ト称スルハ一定ノ題号ヲ用ヰ時期ヲ定メ又ハ六箇月以内ノ期間ニ於テ時期ヲ定メスシテ発行スル著作物及定時期以外ニ本著作物ト同一題号ヲ用ヰテ臨時発行スル著作物ヲ謂フ〉と定義している。日常的にはこの狭い意味で使われるが,ときにこの定義からはみ出ることもある。…
…ついで97年3月24日の一部改正では,弾圧規定としてかねてから問題視されてきた内務大臣の発行の禁止・停止の行政処分条項の廃止がついに実現している。新聞紙条例はさらに1909年5月6日付で改正され,名称も新聞紙法と改められた。新法では新聞雑誌の発売頒布を禁止できる内務大臣の行政処分権規定が復活されている。…
…〈発売禁止〉の略語であるが,〈発行禁止〉を指すこともある。第2次大戦後廃止された新聞紙法(23,24条)および出版法(19,20条)によれば,内務大臣は安寧秩序を乱したり,風俗を害するものと認めたときは,新聞その他の文書,図画の発売・頒布を禁止することができた。この禁止命令に違反した発行人,編集人または著作者,発行者は,禁錮または罰金刑に処せられた。…
…とくにシベリア出兵,米騒動に関連して寺内正毅内閣を激しく攻撃していた。このため弾圧の機会をねらっていた寺内内閣は,18年8月25日に開かれた〈関西新聞社通信社大会〉の報道記事のなかの〈白虹日を貫けり〉という一句をとらえ,この一句が兵乱が起こる兆候を示す故事成句であることを理由に,新聞紙法の〈朝憲紊乱〉に当たるとし,同紙を発行禁止にもち込もうとした。これに呼応して右翼団体も《大阪朝日》を攻撃し,村山竜平社長に暴行を加える事件まで起こした。…
※「新聞紙法」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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