東京帝国大学経済学部助教授森戸辰男(1888-1984)が同学部紀要《経済学研究》の創刊号論文《クロポトキンの社会思想の研究》によって新聞紙法の朝憲紊乱罪違反に問われ,1920年1月に起訴され,禁錮2ヵ月・罰金70円に処せられた筆禍事件。紀要編集発行名義人の助教授大内兵衛も禁錮1ヵ月・罰金20円(執行猶予2年)の刑をうけた。上杉慎吉や右翼団体興国同志会らは同論文を危険思想であると喧伝し,経済学部教授会は両人の休職を決議するなど,原敬首相兼法相,平沼騏一郎検事総長らの強圧に屈した。一方,新人会その他の学生からは反発が生じ,恩師高野岩三郎は証人,佐々木惣一,吉野作造らは特別弁護人として立ち,河上肇,長谷川如是閑らも大学自治擁護の論陣をはった。しかし,法学部教授美濃部達吉が朝憲紊乱罪の乱用に危惧を表明しながらも,経済学部教授会の休職決議を至当と公言し,また,経済学部教授渡辺銕蔵は黎明会の会合で,教授会の決議を非難されたため退席するなど,民本主義の潮流にも亀裂が生じた。しかし,森戸とともに連袂(れんべい)辞職の講師櫛田民蔵,助手細川嘉六らも加えて,高野を所長とする大原社会問題研究所が発足し,東大経済学部も河合栄治郎,矢内原忠雄の助教授就任,大内の復職など失地回復の素地は残された。森戸論文自体は社会政策学構築の前提としてクロポトキンの無政府共産主義のユートピアを借用したものにすぎなかった。
森戸は戦後の片山哲内閣,芦田均内閣の文相に就任,民主社会主義の鼓吹者となった。また1966年,中央教育審議会会長として〈期待される人間像〉を発表し,戦後教育改革の手直しに取り組んだ。
執筆者:岩村 登志夫
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東京帝国大学経済学部助教授森戸辰男(たつお)の筆禍事件。森戸が、1920年(大正9)1月1日付けの同学部内経済学研究会機関誌『経済学研究』第1巻第1号(実際は前年12月下旬に出版)に発表した「クロポトキンの社会思想の研究」が、上杉慎吉(うえすぎしんきち)教授を指導者とする興国同志会の策動により危険思想と攻撃され、政府もこれを問題として、1月10日森戸は休職処分を受けた。14日には森戸と編集署名人の同学部助教授大内兵衛(ひょうえ)が起訴された。3月3日の東京地裁、6月29日の東京控訴院の有罪判決のあと、10月22日大審院で上告棄却の判決が下された。新聞紙法第42条朝憲紊乱(ちょうけんびんらん)罪により森戸は禁錮3か月・罰金70円、大内は禁錮1か月(執行猶予1年)・罰金20円に処され、両人ともに東京帝大を失職し、森戸は11月4日に下獄した。学内の森戸擁護の声は小さかったが、言論人や黎明(れいめい)会などを中心に、世論は学問思想の自由に対する弾圧であるとして反対した。
[佐藤能丸]
『我妻栄他編『日本政治裁判史録 大正』(1969・第一法規出版)』
1919年(大正8)から翌年にかけて起きた東京帝国大学経済学部助教授森戸辰男の筆禍事件。1919年12月末に刊行された経済学部の経済学研究会機関誌『経済学研究』創刊号に掲載された森戸辰男の研究論文「クロポトキンの社会思想の研究」に対し,学内の憲法学者の上杉慎吉やその影響下にあった興国同志会は,これを無政府主義の政治宣伝であるとして非難し,政府(原敬内閣)もこの論文を問題視した。翌年1月,森戸は経済学部教授会によって休職処分に付され,さらに新聞紙法違反(朝憲紊乱)に問われて同誌発行・編集人の大内兵衛とともに起訴された。10月の大審院での上告棄却判決で,森戸は禁固3ヵ月・罰金70円,大内は禁固1ヵ月(執行猶予1年)・罰金20円に処され,両名とも東京帝国大学を失職した。『経済学研究』は創刊号のみで廃刊となった。
著者: 冨岡勝
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大正期の学問・思想の自由弾圧事件。1920年(大正9)1月,東京帝国大学経済学部の「経済学研究」創刊号に掲載の,森戸辰男助教授の論文「クロポトキンの社会思想の研究」が新聞紙法の朝憲紊乱(ちょうけんぶんらん)容疑で,森戸と雑誌発行編集人の大内兵衛(ひょうえ)が起訴された。右翼の森戸攻撃に弾圧を予想した文部省と大学は雑誌を回収,廃棄するとともに,森戸・大内を休職処分にし,森戸の留学資格も取り消し,事態の収拾をはかった。しかし起訴され,同年10月大審院の上告棄却で,森戸の禁錮3カ月・罰金70円が確定した。大学を追われた森戸は大原社会問題研究所に移った。大内は禁錮1カ月・罰金20円・執行猶予1年で失官した。
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