1941年4月13日に調印された日本とソビエト間の中立条約。外相松岡洋右,駐ソ特命全権大使建川美次とソビエト外務人民委員V.M.モロトフとがモスクワで調印した。1940年7月に成立した第2次近衛文麿内閣の松岡外相は,第2次世界大戦が独伊の枢軸側に有利に展開しているうちに日独伊三国同盟を結び,ついでドイツのあっせんによって日独伊ソ四国協商を成立させ,四国協商の圧力でアメリカにアジアから手を引かせて日中戦争を解決し,同時に南進政策を有利にすすめるという独特の構想をいだいていた。この松岡構想にもとづき,同年9月27日日本は日独伊三国同盟に調印し,10月30日には不可侵条約の締結をソビエトに申し入れたが,日本が当時保有していた北部サハリン(樺太)の石油・石炭利権解消問題をめぐって交渉は難航した。しかし41年になると軍部を中心に北守南進政策推進の声が一段と強まり,ソビエト側でもドイツの侵略に対抗するため日本との関係を安定させる必要性が高まり,松岡外相が2回モスクワを訪問し,日ソ中立条約の調印にこぎつけた。この条約は4ヵ条から成り,内容は両国間の平和友好関係の維持,相互の領土不可侵,締結国の一方が第三国から軍事攻撃を受けたとき他方は中立を守る,有効期間は5年で,調印と同時に日本はモンゴル人民共和国の,ソビエトは満州国の領土保全と不可侵を尊重するとの声明が発表された。しかしこの条約は,独ソ戦争が起こったときには矛盾する性格をもち,しかもドイツは40年12月18日秘密のうちに対ソ攻撃を決定していたから,松岡構想は破綻した。その後41年6月に独ソ戦が,12月に太平洋戦争が勃発したが,日ソ間の中立関係は維持された。ところがソビエトは,45年2月のヤルタ会談でドイツ降伏後〈2月又は3月を経て〉対日参戦することを米英両国に約束し,4月5日有効期限(1946年4月24日)以後の中立条約の不延長を通告してきた。日本はソビエトのあっせんによる和平工作を行ったが失敗し,ソビエトは8月8日対日参戦を行い,ここに日ソ中立条約は失効した。
執筆者:木坂 順一郎
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1941年4月13日に日本とソ連の間に調印された条約。1940年に成立した第2次近衛内閣の外相松岡洋右(ようすけ)は日独伊三国同盟を結び,これにソ連を加えるという構想を抱いた。初め松岡はソ連に不可侵条約を提案したが,ソ連はこれを拒み,41年に入って5年間有効の中立条約締結に応じた。この条約調印の2カ月後ドイツはソ連に攻め込み,日本にも参戦を求めた。松岡は一転して参戦を主張したが,政府は南進論に固まり,中立条約は維持された。ソ連は1945年4月5日中立条約の不延長を予告したが,条約有効中に対日参戦した。
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1941年(昭和16)4月13日,日本・ソ連間に調印された中立条約。松岡洋右(ようすけ)外相は,日独伊三国同盟にソ連を加える構想をもってこの年3~4月に訪欧した。交渉はソ連側の消極姿勢の前に難航したが,最終段階でスターリン首相が介入し,中立条約締結にこぎつけた。内容は第1条で平和友好関係の維持,領土の保全・不可侵,第2条で両国の一方が第三国の軍事行動の対象となった場合,他方が中立を守ること,など。有効期限は5年(満了期限は46年4月)とされたが,ソ連側が45年4月に不延長を通告し,同年8月8日の対日宣戦布告によって失効した。
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…スターリンはソ連の国益のためにこの挙に出たのだが,ドイツがポーランドに侵入すると,ポーランド領の東半分を占領し,ドイツとの間に友好境界条約を結んだ。ドイツとの接近から得た最大の獲得物は,混乱した日本との間に日ソ中立条約を40年に結んだことであったろう。この間フィンランドとの戦争で国境地帯を割譲させ,40年には,旧ロシア帝国領であったバルト海沿岸の3国をソ連邦に併合するなど,強引な安全保障策を追求した。…
…30年代には満州国に駐留する関東軍とソ連軍とのあいだに何回か武力衝突が繰り返された。第2次大戦前夜の41年,それぞれ正面に敵をかかえた両国は日ソ中立条約を結んだものの,大戦末期の45年にソ連は日本に宣戦を布告して数日間兵戈をまじえた。南サハリンと千島列島はソ連軍によって占領された。…
※「日ソ中立条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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