日本外交史(読み)にほんがいこうし

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

日本外交史
にほんがいこうし

通常明治1 (1868) 年以降の日本の外交の歴史をいう。「富国強兵」の国家的スローガンを掲げた明治新政府は,不平等条約の撤廃,治外法権の廃止,関税自主権の回復を目指し,また千島などの北方領土,小笠原,琉球諸島などの南方の領土を確保した。朝鮮進出における清国との対立は日清戦争 (94~95) となり,その結果日本は台湾などを獲得した。遼東半島の割譲に対する三国干渉から悪化した日本の対ロシア感情は,日英同盟の締結 (1902.1.) を経て,日露戦争 (04~05) となった。日本はポーツマス条約で旅順,大連の祖借権と南満州鉄道の経営権を得るとともに朝鮮を保護国にし (05) ,やがて植民地にした (10) 。中国大陸への進出を積極化していくなかで,門戸開放政策を旗印とするアメリカの極東政策との軋轢が深まり,日露協商によりアメリカを対抗国とする提携関係が設定された。第1次世界大戦では戦勝国としてパリ講和会議にのぞみ,五大国の一員になり,極東問題解決のためワシントン会議 (21.11.~22.2.) が開催され,ワシントン体制が成立すると,この体制のもとで幣原外交は既得権益擁護に慎重な態度をとったが,続く田中外交は積極的方針に転じ,山東出兵,張作霖爆死事件を経て満州事変 (31.9.) が発生した。これに対するリットン報告を不満とした日本は国際連盟を脱退 (33.3.) ,国際的に孤立しはじめた。ロンドン海軍軍縮会議 (35) には出席せず,ワシントン体制否定の姿勢を明確にし,一方日独防共協定 (36) はやがて日独伊三国同盟へと発展した。日ソ間には張鼓峰事件,ノモンハン事件が発生した。日本の膨張政策は華北へも拡大し,日中戦争が始った。アメリカの日本への経済制裁開始により,1939年7月には 12年の日米通商航海条約の廃棄を通告され,40年1月末以後,日米間の条約関係は皆無となり,日米関係は悪化した。 41年2月末からワシントン D.C.で日米交渉が行われたが,日本軍の真珠湾攻撃 (41.12.8) とともに太平洋戦争が始った。敗戦後,日本は連合軍の占領下に入り,対日講和条約 (51.9.8.) により自由主義陣営に組入れられた。日ソ共同宣言 (56.10.19.) によりソ連との,日韓条約 (65.6.) により韓国との国交が成立した。また 72年9月には,日中関係が正常化された。

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