コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

巻菱湖 まき りょうこ

7件 の用語解説(巻菱湖の意味・用語解説を検索)

美術人名辞典の解説

巻菱湖

江戸後期の書家。越後生。名は致遠。儒学を亀田鵬斎に学び、書は唐の欧陽詢らを基礎として六朝を極め一家を成す。書風は端正でわかり易く菱湖流といわれた。幕末三筆の一人。天保14年(1843)歿、67才。

出典|(株)思文閣
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

まき‐りょうこ【巻菱湖】

[1777~1843]江戸後期の書家。越後の人。名は大任、字(あざな)は致遠。唐の欧陽詢(おうようじゅん)などの書を学び、端正で明快な書風は菱湖流と呼ばれて明治初期まで広く流行。幕末の三筆の一人。

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

巻菱湖 まき-りょうこ

1777-1843 江戸時代後期の書家。
安永6年生まれ。館徳信の子。亀田鵬斎(かめだ-ほうさい)の門下。貫名海屋(ぬきな-かいおく),市河米庵(べいあん)とともに幕末の三筆といわれた。天保(てんぽう)14年4月7日死去。67歳。越後(えちご)(新潟県)出身。名は大任。字(あざな)は致遠。通称は喜藤太,右内。別号に弘斎。著作に「十体源流」など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

世界大百科事典 第2版の解説

まきりょうこ【巻菱湖】

1777‐1843(安永6‐天保14)
江戸末期の書家。越後(新潟県)巻の人。名は大任,字は致遠。幼くして父を失い,江戸に出て亀田鵬斎の門に入り,詩人,書家として大成した。彼は古今の碑版,墨帖をことごとく臨書し,51歳で上洛の際,近衛家秘蔵の賀知章《孝経》(現在宮内庁蔵)を見て用筆の妙を知ったという。下町に人気を博し,市河米庵と江戸の書壇を二分し,これに貫名海屋(ぬきなかいおく)を加えて〈幕末三筆〉と並称される。《十体源流》の著がある。【角井 博】

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

まきりょうこ【巻菱湖】

1777~1843) 江戸後期の書家。越後の人。本姓池田、名は大任。字あざなは致遠。江戸に出て亀田鵬斎ほうさいに学ぶ。欧陽詢おうようじゆんなど主に唐の書を学び独自の書体で一家を成した。著「十体源流」

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

巻菱湖
まきりょうこ

[生]安永6(1777).越後
[没]天保14(1843).4.7. 江戸
江戸時代後期の儒者,書家。本姓は池田,のち巻と改姓。名は大任,字は致遠。菱湖,弘斎は号。 19歳で江戸に出て亀田鵬斎に儒学を学んだ。また書を好み楷書は欧陽詢,行書は李北海,草書は李懐琳を骨子として学んだ。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

巻菱湖
まきりょうこ
(1777―1843)

江戸末期の書家。貫名海屋(ぬきなかいおく)、市河米庵(べいあん)とともに「幕末の三筆」の1人に数えられ、能書として知られる。越後(えちご)巻(現新潟市西蒲(にしかん)区巻)の出身。名は大任、字(あざな)は致遠、通称は右内。弘斎(こうさい)、菱湖と号した。本姓は小山。生地の名にちなみ巻と称す。儒者亀田鵬斎(ほうさい)の門人となり諸書を学んだが、わけても書法と詩に秀でていた。書は、中国の趙子昂(ちょうすごう)、董其昌(とうきしょう)や古今の法帖(ほうじょう)を範として一家をなした。さらに、晋(しん)唐の書法を目ざして習書に励み、独自の唐様(からよう)の書風を確立。楷(かい)・行・草・篆(てん)・隷の各体をよくしたが、これは『説文解字』の研究など、文字学を基盤としたものである。『十体源流』などの著を残す。門人は多く、生方鼎斎(うぶかたていさい)、萩原秋巌(はぎわらしゅうがん)、中沢雪城らが知られるが、その書は庶民階級を中心に広まり、後世に大きな影響を与えた。[島谷弘幸]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の巻菱湖の言及

【三筆】より

…諱は如一(によいち),木庵の法弟)を〈黄檗の三筆〉,また近衛信尹(のぶただ)(号は三藐院(さんみやくいん)),本阿弥光悦松花堂昭乗を〈寛永の三筆〉と呼ぶが,この呼名もおそらく明治以降であろうといわれ,1730年代(享保年間)には寛永三筆を〈京都三筆〉と呼んでいる。また巻菱湖(まきりようこ),市河米庵貫名海屋(ぬきなかいおく)(菘翁(すうおう))の3人を〈幕末の三筆〉という。三蹟【栗原 治夫】。…

【書】より

… 幕末には明の文芸的な文化として文人趣味が流行し,書画をよくし作詩の教養を重んじる,池大雅,皆川淇園,与謝蕪村,頼山陽などの文人書家が知られる。このころ書のみで一家をなした市河米庵貫名海屋(ぬきなかいおく)・巻菱湖(まきりようこ)は〈幕末の三筆〉と呼ばれる。この3人は晋・唐の書法を基礎として学問的研究を進めたが,米庵はとくに宋の米芾(べいふつ)に傾倒し,書論等も著し,その著《墨場必携》は揮毫用の範例を示したものとして今日にまで重宝されている。…

※「巻菱湖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

巻菱湖の関連キーワード鈴木柳塘竹村鶴叟村井三益勘六越後節興雲近藤峨眉関矢凌雲素松堂秦星塢

今日のキーワード

パラチオン、パラチオンメチル

パラチオンは無色で油状の液体、パラチオンメチルはコハク色の液体。ともに毒性が強く、有機リン系殺虫剤として使用された。50年代以降、稲の害虫被害を防ぐことが確認され、広く導入された。しかし、農民の中毒死...

続きを読む

コトバンク for iPhone

巻菱湖の関連情報