江戸末期の書家。貫名海屋(ぬきなかいおく)、市河米庵(べいあん)とともに「幕末の三筆」の1人に数えられ、能書として知られる。越後(えちご)巻(現新潟市西蒲(にしかん)区巻)の出身。名は大任、字(あざな)は致遠、通称は右内。弘斎(こうさい)、菱湖と号した。本姓は小山。生地の名にちなみ巻と称す。儒者亀田鵬斎(ほうさい)の門人となり諸書を学んだが、わけても書法と詩に秀でていた。書は、中国の趙子昂(ちょうすごう)、董其昌(とうきしょう)や古今の法帖(ほうじょう)を範として一家をなした。さらに、晋(しん)唐の書法を目ざして習書に励み、独自の唐様(からよう)の書風を確立。楷(かい)・行・草・篆(てん)・隷の各体をよくしたが、これは『説文解字』の研究など、文字学を基盤としたものである。『十体源流』などの著を残す。門人は多く、生方鼎斎(うぶかたていさい)、萩原秋巌(はぎわらしゅうがん)、中沢雪城らが知られるが、その書は庶民階級を中心に広まり、後世に大きな影響を与えた。
[島谷弘幸]
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…諱は如一(によいち),木庵の法弟)を〈黄檗の三筆〉,また近衛信尹(のぶただ)(号は三藐院(さんみやくいん)),本阿弥光悦,松花堂昭乗を〈寛永の三筆〉と呼ぶが,この呼名もおそらく明治以降であろうといわれ,1730年代(享保年間)には寛永三筆を〈京都三筆〉と呼んでいる。また巻菱湖(まきりようこ),市河米庵,貫名海屋(ぬきなかいおく)(菘翁(すうおう))の3人を〈幕末の三筆〉という。三蹟【栗原 治夫】。…
… 幕末には明の文芸的な文化として文人趣味が流行し,書画をよくし作詩の教養を重んじる,池大雅,皆川淇園,与謝蕪村,頼山陽などの文人書家が知られる。このころ書のみで一家をなした市河米庵・貫名海屋(ぬきなかいおく)・巻菱湖(まきりようこ)は〈幕末の三筆〉と呼ばれる。この3人は晋・唐の書法を基礎として学問的研究を進めたが,米庵はとくに宋の米芾(べいふつ)に傾倒し,書論等も著し,その著《墨場必携》は揮毫用の範例を示したものとして今日にまで重宝されている。…
※「巻菱湖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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