巻菱湖(読み)マキリョウコ

デジタル大辞泉 「巻菱湖」の意味・読み・例文・類語

まき‐りょうこ【巻菱湖】

[1777~1843]江戸後期の書家越後の人。名は大任あざな致遠。唐の欧陽詢おうようじゅんなどの書を学び、端正で明快な書風は菱湖流と呼ばれて明治初期まで広く流行幕末三筆一人

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精選版 日本国語大辞典 「巻菱湖」の意味・読み・例文・類語

まき‐りょうこ【巻菱湖】

  1. 幕末の書家。市河米庵貫名海屋とともに幕末の三筆の一人。越後国新潟県)の人。名は大任。字(あざな)は致遠。江戸に出て亀田鵬斎詩書を学ぶ。書は、楷行草篆隷仮名を好くし、特に、仮名は上代様を研究し、一家を成した。習いやすい書風で菱湖流と呼ばれ、明治以後も広く流行。安永六~天保一四年(一七七七‐一八四三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「巻菱湖」の意味・わかりやすい解説

巻菱湖
まきりょうこ
(1777―1843)

江戸末期の書家。貫名海屋(ぬきなかいおく)、市河米庵(べいあん)とともに「幕末の三筆」の1人に数えられ、能書として知られる。越後(えちご)巻(現新潟市西蒲(にしかん)区巻)の出身。名は大任、字(あざな)は致遠、通称は右内。弘斎(こうさい)、菱湖と号した。本姓は小山。生地の名にちなみ巻と称す。儒者亀田鵬斎(ほうさい)の門人となり諸書を学んだが、わけても書法と詩に秀でていた。書は、中国の趙子昂(ちょうすごう)、董其昌(とうきしょう)や古今の法帖(ほうじょう)を範として一家をなした。さらに、晋(しん)唐の書法を目ざして習書に励み、独自の唐様(からよう)の書風を確立。楷(かい)・行・草・篆(てん)・隷の各体をよくしたが、これは『説文解字』の研究など、文字学を基盤としたものである。『十体源流』などの著を残す。門人は多く、生方鼎斎(うぶかたていさい)、萩原秋巌(はぎわらしゅうがん)、中沢雪城らが知られるが、その書は庶民階級を中心に広まり、後世に大きな影響を与えた。

[島谷弘幸]

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改訂新版 世界大百科事典 「巻菱湖」の意味・わかりやすい解説

巻菱湖 (まきりょうこ)
生没年:1777-1843(安永6-天保14)

江戸末期の書家。越後(新潟県)巻の人。名は大任,字は致遠。幼くして父を失い,江戸に出て亀田鵬斎の門に入り,詩人,書家として大成した。彼は古今の碑版,墨帖をことごとく臨書し,51歳で上洛の際,近衛家秘蔵の賀知章《孝経》(現在宮内庁蔵)を見て用筆の妙を知ったという。下町に人気を博し,市河米庵と江戸の書壇を二分し,これに貫名海屋(ぬきなかいおく)を加えて〈幕末三筆〉と並称される。《十体源流》の著がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「巻菱湖」の意味・わかりやすい解説

巻菱湖
まきりょうこ

[生]安永6(1777).越後
[没]天保14(1843).4.7. 江戸
江戸時代後期の儒者,書家。本姓は池田,のち巻と改姓。名は大任,字は致遠。菱湖,弘斎は号。 19歳で江戸に出て亀田鵬斎に儒学を学んだ。また書を好み楷書は欧陽詢,行書は李北海,草書は李懐琳を骨子として学んだ。かなは近衛家煕の書流を好んで上代様を研究,世に菱湖流と呼ばれる一流を開き,市河米庵貫名海屋 (ぬきなかいおく) とともに「幕末の三筆」と称賛された。主要作品『岳陽楼記』 (1839) ,『後赤壁賦』 (39) ,『古今集序』 (41) 。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「巻菱湖」の解説

巻菱湖 まき-りょうこ

1777-1843 江戸時代後期の書家。
安永6年生まれ。館徳信の子。亀田鵬斎(かめだ-ほうさい)の門下。貫名海屋(ぬきな-かいおく),市河米庵(べいあん)とともに幕末の三筆といわれた。天保(てんぽう)14年4月7日死去。67歳。越後(えちご)(新潟県)出身。名は大任。字(あざな)は致遠。通称は喜藤太,右内。別号に弘斎。著作に「十体源流」など。

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世界大百科事典(旧版)内の巻菱湖の言及

【三筆】より

…諱は如一(によいち),木庵の法弟)を〈黄檗の三筆〉,また近衛信尹(のぶただ)(号は三藐院(さんみやくいん)),本阿弥光悦松花堂昭乗を〈寛永の三筆〉と呼ぶが,この呼名もおそらく明治以降であろうといわれ,1730年代(享保年間)には寛永三筆を〈京都三筆〉と呼んでいる。また巻菱湖(まきりようこ),市河米庵貫名海屋(ぬきなかいおく)(菘翁(すうおう))の3人を〈幕末の三筆〉という。三蹟【栗原 治夫】。…

【書】より

… 幕末には明の文芸的な文化として文人趣味が流行し,書画をよくし作詩の教養を重んじる,池大雅,皆川淇園,与謝蕪村,頼山陽などの文人書家が知られる。このころ書のみで一家をなした市河米庵貫名海屋(ぬきなかいおく)・巻菱湖(まきりようこ)は〈幕末の三筆〉と呼ばれる。この3人は晋・唐の書法を基礎として学問的研究を進めたが,米庵はとくに宋の米芾(べいふつ)に傾倒し,書論等も著し,その著《墨場必携》は揮毫用の範例を示したものとして今日にまで重宝されている。…

※「巻菱湖」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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