デジタル大辞泉 「日本丸」の意味・読み・例文・類語
にっぽん‐まる【日本丸】
豊臣秀吉朝鮮侵攻時の軍船。文禄元年(1592)建造。全長99尺(約30メートル)、1500石積み(積載重量220トン)、櫓100丁立てで、当時最大級の
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
日本の代表的な練習用帆船。〈にっぽんまる〉が正式の名。初代は1930年神戸の川崎造船所において建造された4本マストのバーク型鋼製帆船。全長97.05m,総トン数2286トン。姉妹船に海王丸がある。商船学校では小型の帆船により船員教育を行ってきたが,海難事故が相次いだため明治後期からは安全性能のすぐれた大型船を使用するようになり,1904年の大成丸(総トン数2423トン),24年の進徳丸(2518トン)に次いで地方公立商船学校の練習船として建造されたのが日本丸と海王丸である。第2次世界大戦中は帆装を撤去して輸送その他の任務についた時期もあるが,52年には帆装を復活させ,以後,運輸省航海訓練所の練習船として船員養成に貢献してきたが,84年ひとまわり大型の日本丸と交代し,現在は横浜マリタイムミュージアムに保存されている。新しい日本丸も4本マストのバーク型帆船で,総トン数2570トン,全長110m。
執筆者:庄司 邦昭
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
…なかでも大安宅と呼ばれたものには,全長100尺に余り(30~40m),排水量300トンに及ぶ堂々の大船もあり,織田信長の〈鉄の船〉(火箭(かせん)を防ぐため木船の外面を薄鉄板で覆ったもの。船名不詳)や豊臣秀吉が朝鮮出兵の際にその水軍の旗艦として建造させた日本丸などはことに有名である。ところが徳川家康は,諸大名の保有する安宅船の戦力を恐れ,天下を統一するや,いちはやくそのすべてを没収焼却してしまった。…
…帆船は操帆訓練などを通じて船員としての身心の錬磨,慣海性など資質の養成および基本的海事技術の修得のための練習船である。日本丸(1984竣工)は,2570総トン,全長110m,4本マストのバーク型で,帆数36枚,総帆面積約2760m2,マスト高さ約55.5mの大型外洋帆装練習船である。漁業練習船は,水産関係の大学・学部や水産高校の学生・生徒の漁業や漁船の運航などの実地練習に用いられる。…
…織田信長がつくらせた〈鉄船〉(船名不詳)の実像もこれである。また豊臣秀吉の朝鮮出兵のために集めた700余艘の水軍船隊の旗艦〈日本丸〉などは,全長34~35m,船体の深さ約3m,天守閣のようなやぐらが2基もそびえ,櫓の数100挺(ちよう),推定排水量300トンに及ぶ堂々の巨船で,これらはとくに大安宅と呼ばれた。(3)安宅丸 1631年(寛永8),すでに隠居して大御所となっていた徳川秀忠が,〈江戸城守護の海上の砦(とりで)となさん〉と,御船手奉行向井将監に命じ,伊豆の伊東で4年の歳月を費やして,秀忠没後の35年(寛永12)に成ったもの。…
※「日本丸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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