安宅船(読み)アタケブネ

デジタル大辞泉 「安宅船」の意味・読み・例文・類語

あたけ‐ぶね【宅船/×武船】

戦国時代から江戸初期にかけて建造された大型軍船紀伊安宅氏の創始とされ、大砲を備えたものもあった。あたけ。

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精選版 日本国語大辞典 「安宅船」の意味・読み・例文・類語

あたけ‐ぶね【安宅船・阿武船】

  1. 〘 名詞 〙 室町末期から江戸初期にかけて使用された大型軍船。瀬戸内・紀州・伊勢方面の水軍の主力を形成した。小は五百石積み級から大は二千石積み級、櫓数五十丁立から百六十丁立、矢狭間をあけて鉄砲、弓をうつ。大船は二、三重の天守を設けて大将座乗の旗艦とする。慶長一四年(一六〇九徳川家康は豊臣方水軍力の弱体化をはかって西国筋諸大名安宅船保有を禁じた。
    1. [初出の実例]「水へあたけ舟を入、せめられたれども」(出典:石山本願寺日記‐宇野主水日記・天正三年(1575)四月二一日)

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改訂新版 世界大百科事典 「安宅船」の意味・わかりやすい解説

安宅船 (あたけぶね)

16世紀後半のいわゆる戦国時代,各地の武将によって建造され,その水軍の主力となった日本最初の本格的木造軍船の総称。日本の船は15~16世紀の交,それまでの没水部を刳舟(くりぶね)(丸木舟)に依存する刳舟式準構造船から,本格的な構造船に移行する。こうして伊勢船,二形船(ふたなりぶね)などの商船が誕生するのであるが,これら大型商船の上部構造物(上甲板より上部にある屋形など)を堅木の厚板で囲い,これに銃眼をあけて正面に大砲(おおづつ),側面には弓矢鉄砲を備え,上甲板上には2層ないし3層の櫓(やぐら)をあげたものが軍船安宅船である。なかでも大安宅と呼ばれたものには,全長100尺に余り(30~40m),排水量300トンに及ぶ堂々の大船もあり,織田信長の〈鉄の船〉(火箭かせん)を防ぐため木船の外面を薄鉄板で覆ったもの。船名不詳)や豊臣秀吉朝鮮出兵の際にその水軍の旗艦として建造させた日本丸などはことに有名である。ところが徳川家康は,諸大名の保有する安宅船の戦力を恐れ,天下を統一するや,いちはやくそのすべてを没収焼却してしまった。こうして日本木船史上最強の軍船安宅船は,17世紀初頭忽然(こつぜん)と姿を消す。なお,家光の世に成った安宅丸は,洋式船や中国式船の手法を加味した独特の巨船で,安宅船に属するとはいえない。ちなみに〈あたける〉とは〈暴れ回る〉の意であるとか。安宅は当て字であろう。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「安宅船」の意味・わかりやすい解説

安宅船
あたけぶね

室町時代末から江戸時代初めにかけての最強で最大の軍船。500石積級の小安宅から2000石積以上の大安宅がある。船首の形状は上部は四角な箱型であるが、下部が水切りのよい鋭角のもの(二成(ふたなり)型)と、下部も平たいもの(伊勢船(いせぶね)型)とがあり、3階ないし4階に船体をつくる。船体の上部構造は胴壁造りの押廻(おしまわ)しと称する総矢倉(やぐら)で囲み、攻撃のために鉄砲、大筒(おおづつ)、弓矢が発射できるように随所に狭間(はざま)を設けた。総矢倉には厚さ約2~3寸(約6~10センチメートル)ほどのムクやクスなどの堅木(かたぎ)を用いて装甲板とし、ときにはその上に薄い鉄板を張り巡らした。一般には船首寄りに、ときに船尾寄りに2層から3層の櫓(やぐら)を構えて偵察、攻撃に備えた。推進力となる櫓(ろ)数は、小安宅が50丁立、大安宅は160丁立(二人漕(こ)ぎの大櫓だと100丁立相当)であった。

[宇田川武久]

『石井謙治著「船と航海の歴史」(『図説人物海の日本史 4』所収・1979・毎日新聞社)』


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山川 日本史小辞典 改訂新版 「安宅船」の解説

安宅船
あたけぶね

戦国期~文禄・慶長期の水軍の主力艦で,重装甲・重武装の伊勢船や二形船(ふたなりぶね)をさす。総矢倉(そうやぐら)上に城郭風の天守をあげ,また薄い鉄板で装甲することもある。小さいものは500石積だが,多くは1000石積以上で,1人用の小櫓(ころ)で50挺から160挺の櫓(大櫓(おおろ)なら6割程度)を装備した。1609年(慶長14)9月幕府が西国大名の水軍力抑止の目的で,西国から500石積以上の船を一掃したため,大型の安宅船は姿を消す。各地には小安宅船が残ったが,元和偃武(げんなえんぶ)以降は速力が遅く動きも鈍い安宅船にかわって,大型化した快速の関船(せきぶね)が水軍の主力となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安宅船」の意味・わかりやすい解説

安宅船
あたけぶね

16世紀に出現して戦国時代の水軍の主力となった大型軍船。船体上部を総矢倉として装甲板でおおい,その中から大砲や鉄砲を撃てるようにしたもので,攻撃力,防御力とも他の軍船よりすぐれ,小型でも 500石積み,大型では 3000石積みに及んだ。ただ大型船のわりに推進力の櫓が少いため,軽快な行動力を欠いた。しかし,艦隊の旗艦および主力艦として水軍編成の中心となった。慶長 14 (1609) 年江戸幕府は諸大名の水軍勢力を抑制する目的でその所有を禁止したので,実質的にはこれをもって終止符が打たれた。

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世界大百科事典(旧版)内の安宅船の言及

【軍艦】より

…このような背景下に,米ソ二大海軍の建艦競争にリードされつつ軍艦は日進月歩を遂げ,冷戦体制の末期には技術的にきわめて高度なものになった。
[日本の歩み]
 日本では鉄砲,大筒などで武装した大型軍船としては,16世紀後半に安宅船(あたけぶね)が出現しているが,江戸時代に入ると幕府は安宅船の破棄を命じ,大型船の新造を禁止した。江戸末期に至って外国船の来航に刺激されてこの禁をといた。…

【和船】より

…現存史料による限り,〈百済船(くだらぶね)〉〈唐船(からふね)〉〈宋船〉〈暹羅船(シヤムせん)〉〈南蛮船〉などの対語としての〈倭船〉ないし〈和船〉なる文字は,少なくとも幕末前には見当たらない。では,日本の船のことは何と記しているかというと,〈遣唐使船〉〈遣明船〉〈朱印船〉〈安宅船(あたけぶね)〉,〈関船(せきぶね)〉(のち船型呼称となる),〈御座船〉〈荷船〉〈樽廻船〉〈くらわんか舟〉など用途による名称,〈茶屋船〉〈末吉船〉〈末次船〉〈荒木船〉など所有者名を冠するもの,〈伊勢船〉〈北国船(ほつこくぶね)〉〈北前船(きたまえぶね)〉〈高瀬舟〉など,地名を冠してはいるが実は船型を表すもの,〈二形船(ふたなりぶね)〉,〈ベザイ船〉(弁財船とも書かれる),〈菱垣廻船〉〈早船(小型のものは小早(こばや))〉など船型や艤装(ぎそう)を指す呼称,〈千石船〉(ベザイ船の俗称),〈三十石船〉など本来船の大きさ(積石数(つみこくすう)。現用の載貨重量トン)を表した呼称が船型名称のごとく使われるようになったものなど,個々の船種船型名称が記されているのが一般である。…

※「安宅船」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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