1912年ストックホルム五輪での日本の五輪初参加に向け、国内スポーツの統括組織として11年に設立された。初代会長は柔道の講道館を開いた
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日本におけるアマチュアスポーツの統轄団体。Japan Amateur Sports Association。略称は体協。協会の構成は,競技別に国内を統轄する52の中央競技団体,地域を統轄する47都道府県の体育協会,それに日本スポーツ芸術協会の計100の加盟団体(1997現在)からなり,その運営に当たっては基本方針などを議決する評議員会や事業の執行機関として理事会などを設けている。おもな事業は,国民スポーツの振興を柱に国民体育大会を主催するほか,スポーツ指導者の養成,スポーツ少年団の育成,スポーツ医・科学の振興などである。これらに要する資金は,自主財源のほか国庫補助金,公営競技団体の補助金,一般寄付などでまかなっている。歴史的には,オリンピック大会への参加要請を契機に,1911年7月,オリンピック大会へ選手を派遣する母体である日本のNOC(国内オリンピック委員会)として,〈大日本体育協会〉(初代会長嘉納治五郎)の名で設立され,翌年,第5回ストックホルム・オリンピック大会へ4人の選手団を派遣した。その後,国際競技連盟への加盟の問題や国内においてしだいに競技別の全国組織が整備されたことなどから,25年陸上競技,水泳などの7競技連盟を加盟団体とする構成に組織を変更した。さらに35年には,アマチュア競技の全国的統轄団体を網羅することを決定し,それにオリンピック種目外の競技団体をメンバーとする〈日本運動競技連合〉(1933設立)が合流したことによって,名実ともに日本におけるアマチュアスポーツの統轄団体としての体制が整った。第2次大戦中の4年間(1942-45)は,いったん〈大日本体育会〉の名称で政府外郭団体に組織替えをしたが,戦後の46年1月,民間団体の〈日本体育協会〉として再出発し,60年に都道府県体育協会を加盟団体に加えた現行組織となった。その後,80年のモスクワ・オリンピック不参加を契機に,内部機関として置かれていたJOC(日本オリンピック委員会)独立の議論が起こる。89年JOCの法人化を文部省に申請,許可され,体協からの独立が成立し,現行体制となった。
執筆者:杉山 重利
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(高橋義雄 名古屋大学総合保健体育科学センター講師 / 2008年)
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日本のアマチュアスポーツ団体の連合組織。1911年(明治44)第5回オリンピック大会参加を契機に大日本体育協会として設立された。当初は陸上競技と水泳を主とする団体であったが,25年(大正14)各種競技団体の連合組織となる。42年(昭和17)大日本体育会となったが,第2次大戦後の46年再改組されて財団法人日本体育協会となった。協会内に国民体育大会委員会が設置されている。日本オリンピック委員会は89年(平成元)に協会から独立した。
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…選手制度は競技スポーツにおいてとくに顕著にみられ,発達している。日本のスポーツ選手制度は,明治中期における高等学校の対校試合のための学校代表選手の選抜にその萌芽が認められるが,本格的な選手制度の確立の契機は,第5回オリンピック大会(ストックホルム)に参加する代表を選抜するため前年の1911年に行われた予選競技会と,これを運営する大日本体育協会(現在の日本体育協会)の設立であった。大日本体育協会は種目ごとの協会と各都道府県の地域協会の結成を促すとともに,それらを統轄する立場を占め,スポーツの組織化と全国選手権大会などの開催を通じて選手制度の確立に寄与していった。…
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