岸清一(読み)キシセイイチ

デジタル大辞泉 「岸清一」の意味・読み・例文・類語

きし‐せいいち【岸清一】

[1867~1933]日本近代スポーツの育成者。島根の生まれ。1911年の大日本体育協会創立に際し嘉納治五郎会長を助け、のち2代目の会長。東京岸記念体育会館はその遺志によって建てられた。

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精選版 日本国語大辞典 「岸清一」の意味・読み・例文・類語

きし‐せいいち【岸清一】

  1. 弁護士法学博士島根県に生まれる。東京帝大卒。スポーツの振興に努め、大日本体育協会会長、国際オリンピック委員となる。没後、その功労を記念して岸体育館が建てられた。貴族院議員。慶応三~昭和八年(一八六七‐一九三三

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改訂新版 世界大百科事典 「岸清一」の意味・わかりやすい解説

岸清一 (きしせいいち)
生没年:1867-1933(慶応3-昭和8)

大正・昭和期のスポーツ功労者。島根県松江市の出身。東京帝国大学法科在学中はボート選手として活躍した。1893年第1回弁護士試験に合格,三菱財閥顧問弁護士となり,民事訴訟権威とされた。1921年嘉納治五郎の後を継いで大日本体育協会の第2代会長に就任,強い指導力を発揮して興隆期の日本スポーツ界をリードした。24年IOC国際オリンピック委員会)委員に就任し,32年ロサンゼルス・オリンピックの際IOC総会で,40年のオリンピック大会の東京招致計画(のち中止)を発表した。ロサンゼルス・オリンピックで優勝したイタリア選手が,ムッソリーニ首相から勲章を贈られたことを知り,同首相あてにアマチュアリズム違反の抗議電報を送って,世界的な話題になった。岸記念体育会館は,遺志による寄付金を基金として建てられた。
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20世紀日本人名事典 「岸清一」の解説

岸 清一
キシ セイイチ

大正・昭和期の弁護士 東京弁護士会会長;IOC委員;日本体育協会創立者。



生年
慶応3年7月4日(1867年)

没年
昭和8(1933)年10月29日

出生地
出雲国松江(現・島根県松江市)

学歴〔年〕
帝国大学法科大学(現・東大法学部)〔明治22年〕卒

学位〔年〕
法学博士〔明治43年〕

経歴
明治26年弁護士試験に合格、以後、法曹界で活躍し、岩崎家、東京市などの顧問弁護士を務める。一方、43年嘉納治五郎とともに大日本体育協会(現・日本体育協会)を設立。大正10年には2代目会長に就任。また東京弁護士会会長、貴族院議員、IOC委員などを歴任した。

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百科事典マイペディア 「岸清一」の意味・わかりやすい解説

岸清一【きしせいいち】

日本アマチュア・スポーツの功労者。松江市出身。東大法科在学中はボートの選手として活躍。卒業後,三菱財閥の顧問弁護士となり,民事訴訟の権威とされた。1921年嘉納治五郎の後任として大日本体育協会(のちの日本体育協会)の第2代会長に就任,1924年IOC(国際オリンピック委員会)委員となる。没後,遺志による寄付金で,東京お茶の水に岸記念体育館が建設された(1964年渋谷に移転)。
→関連項目平沼亮三

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岸清一」の意味・わかりやすい解説

岸清一
きしせいいち

[生]慶応3 (1867).7.4. 出雲,松江
[没]1933.10.29. 東京
法学博士,政治家。1889年東京帝国大学法科大学卒業。1921年大日本体育協会(→日本スポーツ協会)第2代会長就任。1924年国際オリンピック委員会 IOC委員に推され,1924年パリ・オリンピック競技大会,1928年アムステルダム・オリンピック競技大会,1932年ロサンゼルス・オリンピック競技大会の 3大会にわたって日本スポーツ界の国際化に尽力した。1941年遺志により岸記念体育会館が東京の神田駿河台に建設(1964渋谷区神南に移転,2019解体)された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岸清一」の意味・わかりやすい解説

岸清一
きしせいいち
(1867―1933)

大日本体育協会(現、日本スポーツ協会)2代目会長、国際オリンピック委員会(IOC)委員。島根県松江市出身。東京帝国大学英法科卒業。在学中はボート選手として活躍した。弁護士をするかたわらアマチュア・スポーツの発展に尽くし、1921年(大正10)に嘉納治五郎(かのうじごろう)の後任として大日本体育協会会長に就任、1924年IOC委員に選ばれた。岸記念体育館は彼の死後、その遺志による寄金100万円の一部をもとに1940年(昭和15)の第12回オリンピック東京大会(日中戦争で返上)のために東京・御茶ノ水に建てられたものである。その後、老朽化のため1964年(昭和39)7月、第18回オリンピック東京大会の開催を機に渋谷区神南に新設移転(2019年、老朽化等により解体)。

[石井恒男]


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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岸清一」の解説

岸清一 きし-せいいち

1867-1933 明治-昭和時代前期の弁護士,スポーツ功労者。
慶応3年7月4日生まれ。帝国大学在学中ボート選手として活躍。卒業後弁護士となり,民事訴訟法の権威として知られる。大日本体育協会会長,IOC委員もつとめた。昭和8年10月29日死去。67歳。遺志による寄付金をもとに岸記念体育館がたてられた。出雲(いずも)(島根県)出身。

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367日誕生日大事典 「岸清一」の解説

岸 清一 (きし せいいち)

生年月日:1867年7月4日
大正時代;昭和時代の日本体育協会設立者;弁護士
1933年没

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世界大百科事典(旧版)内の岸清一の言及

【岸記念体育会館】より

…財団法人日本体育協会の所有する建築物。第2代体協会長岸清一の遺志により,1934年に遺族が寄付した80万円の運動会館建設基金によって,41年に東京・御茶ノ水に完成。木造2階建てで手狭となったため,64年に東京・渋谷に移転,地上5階・地下3階建てのビルとなった。…

※「岸清一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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