大正・昭和期のスポーツ功労者。島根県松江市の出身。東京帝国大学法科在学中はボート選手として活躍した。1893年第1回弁護士試験に合格,三菱財閥の顧問弁護士となり,民事訴訟の権威とされた。1921年嘉納治五郎の後を継いで大日本体育協会の第2代会長に就任,強い指導力を発揮して興隆期の日本スポーツ界をリードした。24年IOC(国際オリンピック委員会)委員に就任し,32年ロサンゼルス・オリンピックの際IOC総会で,40年のオリンピック大会の東京招致計画(のち中止)を発表した。ロサンゼルス・オリンピックで優勝したイタリア選手が,ムッソリーニ首相から勲章を贈られたことを知り,同首相あてにアマチュアリズム違反の抗議電報を送って,世界的な話題になった。岸記念体育会館は,遺志による寄付金を基金として建てられた。
執筆者:川本 信正
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大正・昭和期の弁護士 東京弁護士会会長;IOC委員;日本体育協会創立者。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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大日本体育協会(現、日本スポーツ協会)2代目会長、国際オリンピック委員会(IOC)委員。島根県松江市出身。東京帝国大学英法科卒業。在学中はボート選手として活躍した。弁護士をするかたわらアマチュア・スポーツの発展に尽くし、1921年(大正10)に嘉納治五郎(かのうじごろう)の後任として大日本体育協会会長に就任、1924年IOC委員に選ばれた。岸記念体育館は彼の死後、その遺志による寄金100万円の一部をもとに1940年(昭和15)の第12回オリンピック東京大会(日中戦争で返上)のために東京・御茶ノ水に建てられたものである。その後、老朽化のため1964年(昭和39)7月、第18回オリンピック東京大会の開催を機に渋谷区神南に新設移転(2019年、老朽化等により解体)。
[石井恒男]
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…財団法人日本体育協会の所有する建築物。第2代体協会長岸清一の遺志により,1934年に遺族が寄付した80万円の運動会館建設基金によって,41年に東京・御茶ノ水に完成。木造2階建てで手狭となったため,64年に東京・渋谷に移転,地上5階・地下3階建てのビルとなった。…
※「岸清一」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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